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ピュアな歌〜双極性障害に苦しんだ奇才、ダニエル・ジョンストンという男

2014.09.28

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♪「Dream Scream」/ダニエル・ジョンストン


君は僕の歌が好きだった
どうして君を手に入れられないの?
愛は枯れたと君は言った
僕はただただ信じられなかった


2019年9月10日、心臓発作を起こして急逝したダニエル・ジョンストン(享年58)。
見た目はどこにでもいる冴えない中年のおっさん。
20年以上一人の女性を片想いし続け、ビートルズとコミックとマウンテンデュー(炭酸飲料)を愛し続ける男。
長年に渡り、双極性障害(以前は躁鬱病と呼んだ)という病気に苦しむアーティスト、ダニエル・ジョンストン。
ニルヴァーナのカート・コバーンに多大な影響を与えた彼は、トム・ウェイツ、ジョニー・デップ、ソニック・ユース、ベックなど、名立たるアーティスト達からも愛されている。
ポピュラーミュージック史上において“稀有(けう)な存在”として扱われている彼に対して、デヴィッド・ボウイがこんなコメントを残している。

ダニエル・ジョンストンは、シド・バレットやブライアン・ウィルソンの偉大な
伝統を受け継いで、溢んばかりのポップを素晴らしい悲しみの感情と結び付ける。
彼はアメリカの宝だ。


彼はカリフォルニア州のサクラメントで生まれた。
父は軽飛行機のパイロットで、母はキリスト教原理主義者だった。
5人兄弟の末っ子として育った彼は小さな頃から音楽が大好きで、ビートルズ(特にジョン・レノン)、クイーン、ボブ・ディラン、ニール・ヤングなどを聴いていたという。
彼がまだ幼い頃に一家はウエスト・ヴァージニア州に移住することなる。
9歳になる頃にはホラー映画の音楽をピアノで弾きまねてみるなど“創作”への目覚めも早かったという。
次第に自力でソングライティングも始めた彼は、自宅で録音したカセットテープを配布するという形で作品を発表していたという。
だが、大好きなロックンロールとコミックを“罪”と決め付ける厳格な母親によって、思春期の心は引き裂かれ…彼は自宅の地下室に引き籠るようになってゆく。
ほとんど外界との接触をしなくなった彼にとって、ビートルズのレコードとおばけのキャスパー、そしてキャプテン・アメリカのコミックブックが“すべて”となった。
そんな中、彼は早くから絵を描くことにも興味を持ち、イラストレーターとしても着々と作品を描きためていった。
彼の歌や絵にはセックスも社会もまったく出てこない。
彼の心は12歳のままで止まっていたのだ。

なんとか高校を卒業した“引き蘢り息子”を親は無理やりクリスチャン大学に入れたが、そこで彼はついに精神が崩壊し…病院のベッドに送られることとなる。
その時初めて、躁鬱病と診断された。

彼が今まで発表してきたアルバムのジャケットにあしらわれている“奇妙でシュールな”イラストは、すべて自身の手によるものだ。
現在は、アメリカ国内はもちろんのこと、ベルリン(ドイツ)やチューリヒ(スイス)などヨーロッパの都市でも個展が開催されるほどである。
彼の楽曲のほどんどは、そのハスキーで甲高い“骨抜き”のような歌声と、調子っぱずれなギターとシンプルな鍵盤のみで構築されている。
言わば、調理していない状態の食材を皿の上に乗せて提供するような“無造作”なものである。
だが、彼の“ピュアすぎる妄想”から紡ぎ出される魔法のソースのような歌詞と相俟って、癖になる味わいを醸し出しているのだ。


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また、彼は無類のビートルズマニアとしても知られている。
ステージでも多くのレノン/マッカートニーの作品をカバーしている。
数少ないインタビュー記事でも、真っ先にレノン/マッカートニーのことを“好きなソングライター”にあげているほどだ。
そのルックスからは想像できない、甘く切ないドリーミーなラブソングばかりを生み出す作風から「世界一ピュアなおっさん」と言うフレーズで呼ばれていることに、誰もが笑顔で納得してしまうのだ。
また、カルト的な人気を博しているものの大手レーベルと契約してリリースしたアルバムが殆ど売れなかったこともあり「売れてないジョン・レノン」と言われた過去もある。

♪「The Beatles」/ダニエル・ジョンストンのオリジナル曲


♪「A Day in the Life」/ダニエル・ジョンストンによるビートルズのカバー(LIVE)

♪「You’ve Got To Hide Your Love Away(悲しみはぶっ飛ばせ)」/ダニエル・ジョンストンによるビートルズのカバー(LIVE)

最後に、彼の“ブッ飛び壮絶人生”を略歴と共に紹介しよう。
1961年、カリフォルニア州サクラメントに生まれる。
1980年、運命の女性ローリーと出逢い、彼女の結婚後もローリーを題材に歌や絵を創作。自宅の地下室で宅録を開始。2年半で100以上の曲を書き、自主制作のカセットを配るも“ダビング”を知らなかったため注文の数だけ演奏し1本1本録音を繰り返す。
1985年、MTVに初登場する。
1986年、オースティンのBest Song Writer賞とBest Folk Artist賞を受賞。当時のマネージャーの影響で薬物に手を出し暴行、逮捕。オースティン州立病院に入院、クリスマス会で兄ディックに怪我をさせる。
1988年、NYでソニック・ユースらとレコーディング&ライブを行うが、自由の女神に落書きをした罪で逮捕、入院。※ジャド・フェアと共に1週間で30曲以上を共作し映画『Half Japanese:The Band That Would Be King』を製作。その後、老婦人を驚かせ怪我をさせ逮捕、強制入院。
1989年、LAで8人の画家による展示会を開催。
1990年、精神病院からFMラジオに生出演。その番組は今なお語り継がれる伝説に。
1991年、両親と共にテキサス州へ引っ越すも、また入院。
1992年、MTVアワードでカート・コバーンが「Hi, How Are You」(ダニエル画)
Tシャツを着ているのが全国に放送され話題に。

2002年、デヴィッド・ボウイのクイーン・エリザベス・ホールでのフェスティバルに招待される。
2003年、日本・アメリカ・ヨーロッパでのツアーを敢行
2005年、彼の半生を描いたドキュメンタリー映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』(The Devil and Daniel Johnston)が公開されサンダンス映画祭でドキュメンタリー作品監督賞を受賞した。
2019年9月10日、心臓発作を起こして急逝。


『悪魔とダニエル・ジョンストン』/映画予告編


<ダニエル・ジョンストン オフィシャルサイト(英語)>
http://www.hihowareyou.com




【※解説―ジャド・フェア】
伝説的なオルタナティブロックバンド「ハーフ・ジャパニーズ(Half Japanese)」創始者であり、彼にしか生み出せないオンリーワンな音楽で知られる鬼才である。
カート・コバーンも彼らの熱烈なファンで、1994年ニルヴァーナの「In Utero」ツアーにおける東海岸での行程のオープニングを依頼し、彼らは8回の公演で演奏した。


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ダニエル・ジョンストン
『Rejected Unknown』

(2001/Gammon Records)


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ダニエル・ジョンストン
『Yip Jump Music』

(1983/ Stress Records)

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