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映画のような歌・前編〜フレディもしくは三教街~

2015.02.08

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「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて〜」/朗読:大竹しのぶ、唄:さだまさし


その類い稀なる才能で“映画のような歌”を紡ぐシンガーソングライター、さだまさしの作品である。
彼には、ギタリストの吉田正美と1972年に結成したフォークデュオ“グレープ”として活動していた時期がある。
この歌は、グレープの3枚目にして最後のオリジナルアルバム『コミュニケーション』(1975年11月リリース)の収録曲として発表されたもので、初期の“さだ作品”の中で最も長い曲といえるだろう。
実は発表前に、二つのタイトル「フレディ」と「三教街」のいずれにするか迷っていたため、さだの作詞ノートに“もしくは”と書いてあったのを、当時のディレクターがそのままタイトルにしたという。


フレディ あなたと出逢ったのは 漢口(ハンカオ)
揚子江沿いのバンド あなたは人力車夫を止めた
フレディ 二人で初めて行ったレストラン
三教街を抜けて フランス租界へとランデブー



物語(歌詞)の舞台は、かつての中国に存在した “租界(そかい)”という場所。
租界とは、19世紀から20世紀に列強下の侵略にあった中国における行政自治権や治外法権をもつ外国人居留地のことを指す。
当時、租界はアヘン戦争後の不平等条約により中国各地の条約港に設けられ、半植民地支配の拠点となっていた
漢口(ハンカオ)は、現在の武漢市の一部で、上海よりずっと奥に位置した場所である。
歌は、そうした“租界”で出逢った若き恋人達の出会いの場面から描かれている。
彼女(歌の語り人)と恋人(フレディ)とは中国人ではなく、それぞれに海を渡って大陸へとやってきた異邦人という設定だ。

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漢口(ハンカオ)にはかつて、5カ国の租界が置かれていたという。
海岸通り(バンド)の南側から「イギリス租界」、「ロシア租界」、「フランス租界」、「ドイツ租界」、そして「日本租界」と。
そこは石造りの洋館が整然と建ち並ぶ、いわば東洋のヨーロッパ。
租界内には各国の領事館や裁判所、警察、銀行、商店などの様々な施設が設けられ、周辺にはイギリス生まれの競馬場やゴルフ場などの娯楽施設も完備されていたという。
租界が置かれた街々は、やがてそこを中心に国際的な商業都市として発展をする。
いわゆる“新天地”を求めて海を渡ってやってくる人々が、漢口にも多数押し寄せたとのことだ。

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あの頃 私が一番好きだった 
三教街のケーキ屋を覚えてる?
ヘイゼルウッドのおじいさんの 
なんて深くて蒼い目
いつでもパイプをくゆらせて 
アームチェアで新聞を広げてた

フレディ あなたも年老いたらきっと
あんなすてきなおじいさんになると思ってたの
本当に思ってたの



新天地を求めて海を渡ってやってきた人々の中には、止むにやまれぬ事情から祖国を離れ、租界の住人となった人々も少なくはなかった。
ロシア革命(1917年)によって帝国が崩壊した後、ロシア租界には多数の白系ロシア人(共産軍に迫害され、他国へ亡命・逃亡した人々)が移住。
祖国を追われた悲しみを抱きつつ、生まれ育った地の文化や習慣をそこで静かに守り継いでいった。
ロシア租界にはさらに、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人たちも定住。帝国崩壊で本来の所有者を失ったその場所は、他の租界以上にコスモポリタンな色合いを深めていった。
この歌に登場する“三教街”とは、ロシア租界のそうした姿を象徴する地区だった。
「三つの教えを持つ街」との意をもった呼び名の通り、そこにはロシア正教・ユダヤ教・キリスト教の教会が仲睦まじげに佇んでいたという。


フレディ それから レンガ焼きのパン屋の
ボンコのおばあさんの 掃除好きなこと
フレディ 夕暮れの鐘に十字切って
ポプラの枯葉に埋もれた あの人は一枚の絵だった



時は流れ…やがて日本軍が大陸へと侵攻する時代が訪れる。
1938年(昭和13年)10月、漢口及びその周辺地域を占領した日本軍は、さらなる戦いのための大補給基地を漢口に造り上げた。
以降、漢口には政府や軍部系の商社の進出が増加し、軍事商業都市としての色合いを強くしてったという。
そして、太平洋戦争が勃発し…大陸は完全に日本軍の支配下に。
租界もまた、同盟国ドイツ及びドイツ占領下のフランスを除くすべてが、日本軍の支配下に置かれることとなる。

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さだまさしはこの曲を、自らの母の青春の想い出をモチーフに作ったのだという。
彼の母は青春時代の数年を大陸で過ごし、戦後日本に帰ってきた“引揚者”だったのである。
また、彼の母親・佐田喜代子は、自伝的子育て記『永き旋律~さだ家の母と子供たち~』(自由国民社)でこの曲のことについて触れている。


あの歌は、ドイツ青年とのロマンをもとに、まさしが、あの子なりに創作してくれた作品でございます。


彼女が漢口へと渡ったのは1942年。
中国で貿易の仕事をしていた兄に呼び寄せられ、17才の喜代子は姉とともに大陸へと向かい、海軍の代行機関でタイピストなどをしながら終戦までの3年余りを漢口で過ごしたとのことだ。
若い彼女にとってのその日々は、まるで夢のようなものだったという。
住居と勤め先との間には、旧・ロシア租界の三教街や、フランス租界、ドイツ租界があった。
彼女はそこを通るたび、レンガ造りのおしゃれな店構えに目を見張り、花屋のショウウィンドウを飾るバラの香りに胸をときめかせ、実在したレストラン『ヘイゼルウッド』やパン屋『ボンコ』のケーキやお菓子の美味しさに心を躍らせた。
それらの日々の中で、彼女は一人のドイツ人の青年と出逢い…淡い恋心を抱くようになる。
しかし、戦争は徐々に激しさを増していき、漢口にもついにアメリカ軍の爆撃が…それによってドイツ租界は跡形もなく破壊される。
そして…この物語(歌詞)は、意外な結末へと展開してゆく…。

■「映画のような歌・後編〜フレディもしくは三教街~」は、2/15(日)に公開予定です♪

【さだまさしオフィシャルサイト】
http://www.sada.co.jp


さだまさし「帰郷(リマスタリング盤)」

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(2005/フォアレコード)



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