「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the NEWS

伝説のカントリー歌手ロレッタ・リン〜炭坑夫の娘として生まれて

2021.10.28

Pocket
LINEで送る

「Coal Miner’s Daughter(炭坑夫の娘)」/ロレッタ・リン


私は炭坑夫の娘として生まれたの
ブッチャーホラーの丘の上のキャビンで
私たちは貧しかったけれど愛があったわ
父さんは貧しい暮らしを支えるために
シャベルで石炭を掘ってくれたわ



カントリーミュージック。
それは、アメリカ合衆国南部で発祥した音楽である。
「アパラチアンミュージック」、「マウンテンミュージック」、「ヒルビリー」、「カントリー&ウエスタン」などと呼ばれた時期を経て、現在の名称となった。
ヨーロッパの伝統的な民謡やケルト音楽が、ゴスペルなど霊歌・賛美歌の影響を受けて1930年代に誕生したものと云われている───


ロレッタ・リンはそんなアメリカの音楽=カントリーの代表的な女性歌手の一人だ。
今から80年前…1935年にケンタッキー州の小さな炭鉱町ブッチャーホラーで、彼女は炭坑夫の娘として生まれた。
8人兄弟の2番目(次女)という大家族の中、貧しい環境で育つ。
母方からは、スコットランド人、アイルランド人、そしてチェロキーの血を引いているという。
(※現在ブッチャーホラーにあった彼女の生家は、ケンタッキーの観光名所となっている)
1949年、わずか13歳にして結婚。
18歳にして、すでに4人の子供の母となっていた。
幼い頃の彼女は、教会や地域のコンサートで歌う音楽好きな女の子だった。
結婚後は苦難の生活の中、その情熱は家族に向けられるように。
そんな中、5回目の結婚記念日に夫から安物の古いギターをプレゼントされる。
独学でギターを練習しながら二十代から歌い始めた彼女は、やがて歌手になる夢を抱くようになる。
夫と二人三脚で地道な売り込み活動や、ローカルクラブへの出演を続けていると、彼女の歌は次第に認められるようになってゆく。
そんなある日、彼女はテレビのコンテストに出演した。
その放送を見たレコード会社(Zero Records) の社長の目に留まって、ハリウッドでのレコーディングのチャンスを得る。
25歳を目前にした1960年3月に、その音源が1stシングルとしてリリースされる。
その2年後、大手レコード会社のデッカとの契約を手にし、60年代前半にはスター歌手の仲間入りを果たす。
60年代後半になると、彼女はそれまでカントリーの世界で聴かれることのなかった“女性ならではの視点”から歌詞を書くようになる。
70年代には、コンウェイ・トゥイッティとコンビを組んで幾多のヒットを放つ。
そして1980年、アパラチア山脈出身の極貧の生い立ちからスター歌手になるまでの波乱に満ちた半生を描いた自伝的映画『歌え!ロレッタ愛のために』(原題Coal Miner’s Daughter)が公開された。

img_0
本作は、第53回アカデミー賞で作品賞を含む7部門にノミネートされ、シシー・スペイセクが主演女優賞を受賞した。
映画『キャリー』(1976年)の名演に続いて、本作でロレッタ・リンを演じ、吹き替えなしに彼女の曲を歌った女優シシー・スペイセクの才能が、本作で更に認められたのだ。ロレッタ・リンとシシー・スペイセクは、役作り期間から丁寧に親密な時間を重ね、後は一緒にコンサートをするほど、私生活でも深い親交がある。
また、この映画には夫オリヴァー・ヴァネッタ・リン役でトミー・リー・ジョーンズ(サントリー缶コーヒーBOSSのCM・宇宙人役でおなじみの名優)が共演し、浮気はするものの、ロレッタ・リンと彼女の歌を愛する最高の理解者を演じている。
父親テッド・ウェブ役で、ザ・バンドのレヴォン・ヘルムが出演し、口数は少ないが、実直な父親を味わい深く演じている。
この演技が認められ、この後、レヴォン・ヘルムは多くの映画に出演して俳優としても活躍することとなる。

映画『歌え!ロレッタ愛のために』英語版予告編


この映画には、こんな誕生エピソードがある───
ある時、ロレッタが自宅のプールで泳いでいると、ユニバーサルピクチャーズの男たちがやって来て「あなたの自伝を映画化するとしたら、誰を主役にしたいですか?」と言い、分厚い写真ファイルを手渡した。
彼女が写真をめくっていくと…そこにはブロンドでソバカスのある女優が微笑んでいた。
彼女は自分にもソバカスがあったので、その女優の写真を抜き出して別にしておいた。
ユニバーサルの男たちがまた戻って来て写真を見て「この娘ってことですか?」と尋ねた。
彼女は「イエス」と答えたが、彼らにとってはその選択があまりに意外で、最初は信じなかったという。
本人からの抜擢によって役を引き受けることとなったシシー・スペイセクは、その後約一年間に渡ってロレッタと多くの時間を共有しながら“役作り”に取り組んだ。
夜はランプシェードに楽譜を洗濯バサミで止め、ロレッタがギターを弾いて歌った。
シシーも見よう見まねでギターを手にし、ロレッタの声に似せるようにして歌った。
そんな日々を過ごす中で、ロレッタはカントリーミュージックの公開ライブ放送のラジオ番組“グランド・オール・オプリ”に、シシーを連れて3度も出演した。
そこで歌詞の一部をシシーに歌わせてみたところ、ラジオのスピーカーから聴こえた二人の歌声はほぼそっくりだったという。
「シシーは歌い方や喋り方を真似るのが上手で、私自身になり切ろうと一生懸命だった」とロレッタは語っている。
そして、こんな印象的なエピソードもあったという。
ある日、ロレッタの双子の娘がこう言った。
「マミィ、シシー・スペイセクみたいに喋るのはやめてよ」と。
映画完成後にロレッタは、こう語っている。
「自分を演じるシシーがステージで倒れるシーンが辛くて直視出来なくて…思わず画面から目をそらし、そのシーンが終ってからまた見続けたの。」
また、ロレッタの夫は最初トミー・リー・ジョーンズに嫉妬し、協力的ではなかったという。
しかし、ユニバーサルピクチャーズが「ブルドーザーの運転をトミーに教えてやってくれ」と夫にお願いすると、それをきっかけに二人の距離は縮まり、手の平を返したように夫はすっかりトミーのファンになってしまったのだ。
ロレッタの熱烈なファン達は口をそろえて「この映画を70回観た」とか「100回観た」と言うらしい。
あるインタビューで彼女は「それは嘘ではない。この映画は一時的なものではなく、3世代にわたって好まれている」と証言している。

映画の公開から8年後…1988年、彼女はカントリーの殿堂(Country Music Hall of Fame)入りを果たしたのだ。




ロレッタ・リン『All Time Greatest Hits』

ロレッタ・リン『All Time Greatest Hits』

(2002/ Mca Nashville)


映画『歌え!ロレッタ愛のために』DVD

映画『歌え!ロレッタ愛のために』DVD

(1980/ジェネオン・ユニバーサル)


【佐々木モトアキ公演スケジュール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12660299410.html


【佐々木モトアキ プロフィール】
https://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12648985123.html

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the NEWS]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ