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無双のバンド〜The Doorsの真実、彼らが開いた扉とは?〜

2015.07.03

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「Break On Through (To the Other Side)」/ドアーズ



長いロックンロールの歴史において、まさに“無双”の存在として多くのアーティストに影響を与え続けてきたThe Doors(ドアーズ)が、1993年にロックの殿堂入り(The Rock and Roll Hall of Fame and Museum)を果たした。
彼らは60年代の後半にサンフランシスコを中心に台頭したピッピームーブメント(ジェファーソン・エアプレーン、グレイトフル・デッドなどの一派にも加担しなかったし、ブリティッシュ・インヴェイジョン(ビートルズやストーンズやザ・フーが起こしたイギリス発の音楽旋風)にも影響されていなかった。
彼らにとって本拠地だったロサンゼルスにおいてさえ、当時“主流”だったママス&パパスやバーズなどのフォークロックとは“別世界の住人”と考えられていた。
そう、ドアーズはいかなるムーブメントからも超絶していたのだ。
若者達が音楽を通じて“高い理想”を掲げていた時代において、彼らの視線はロックの範囲をはるかに超える軌道を追い求めていたのである。

昼が 夜を ぶち壊す
夜が 昼を 切り分ける
まず走ってみろ 隠れてみろ
向こう側に突き抜けるんだ!
向こう側に突き抜けるんだ!
向こう側に突き抜けるんだ!

―「Break On Through(To the Other Side)」より―

1965年の夏、カリフォルニア州ヴェニスビーチで誕生した当初から、彼ら(The Doors)は真の意味でのバンド=創造的なエネルギーの集合体だった。
その伝説はUCLA(カリフォルニア大学ロス校)の映画学科で学んでいたジム・モリソンとレイ・マンザレク(オルガン・ピアノ)との出会いから始まった。
ちなみに、後にドアーズの楽曲「The End」を映画『地獄の黙示録』(1979年)の挿入歌として使用したフランシス・F・コッポラ監督は、彼らと同じ教室で学んだ同級生でもある。


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結成から程なくして、彼らはロサンゼルスにあるウィスキー・ア・ゴー・ゴーというナイトクラブのステージで人気者となる。
観客の関心の的は、もっぱらジム・モリソンだった。
そのルックスと才能からすればそれも当然だったが、レイ・マンザレク(オルガン・ピアノ)、ロビー・クリーガー(ギター)、ジョン・デンズモア(ドラム)を合わせた4人が一体化し、融合しなければドアーズのマジックはありえないことを、誰よりもジム自身がよく知っていた。
ゆえに、ジムが一度としてソロ活動をしなかったのも何ら不思議なことではない。
レイ、ロビー、ジョンの3人もまた“ジムの使命”に共感していたから、そんなことは問題外だったのである。
例えば彼らの代表曲「Light My Fire(ハートに火をつけて)」「Love Me Two Times」などの作詞の大部分を手掛けたのはギタリストのロビーであるが、彼はそれこそジム以上に“ジム・モリソンらしく”響く言葉を書くことが出来たのだ。

「Love Me Two Times」/ドアーズ



「Light My Fire(ハートに火をつけて)」(Live) New York/ドアーズ

ためらいの時間はもう終りだ
泥の中をのたうち回る時じゃない
今すぐやろうぜ 失うものは何もない
俺達の愛は弔いの炎となる

来いよベイビー 俺に火つけておくれ
来いよベイビー 俺を燃やしておくれ
この夜に火を放ってやろうぜ

―「Light My Fire(ハートに火をつけて)」より―


ロビーは、ドアーズの歌作りにおいて大きな役割を果たしながら、フラメンコギターからボトルネックによるブルースまであらゆるアプローチのギタープレイをこなし、誰も聴いたことがなかったようなサウンドを創造した。
一方シカゴで育ったオルガンのレイは、クラシックピアノの素養もあったが、土地柄も影響しブルースに深い愛情を持っていた。
レイはドアーズの代表的な楽曲の作曲を数多く手掛け、キーボードを演奏しながら同時に左手でベースラインを弾いて、サウンドをメロデックにドライブさせた。
ジャズドラマーだったジョン・デンズモアは、呪術的なリズムと劇的なタイム感において彼の右に出る者はなく、バンドの強靭なエンジン役を果たした。
そしてジム・モリソンといえば、生来の詩作の才と神秘的なバリトンボイスを持った“希代の詩人”として知られている。
ジムは19世紀のフランスの詩人アルチュール・ランボーに多大な影響を受けていた。
「あらゆる感覚の理知的な錯乱によって、未知なるものを実現すること」
そんなランボーの理念を、ジムは忠実にバンドに注ぎ込もうとしていた。
このメンバーでなければ、ジムの詩がノートから飛び出して、ステージで歌われ、レコードとなり、次世代にまで歌い継がれることはなかったであろう。
では、そんな彼らのバンド名“The Doors”にはどんな由来があるのだろう?

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If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it truly is, infinite.
知覚の扉が浄化されるならば、万物は人間にとって“真の無限”として立ち現れる


幻視者であり、画家でもあった18世紀の詩人ウィリアム・ブレイク(1757年―1827年)の書『知覚の扉(the doors of perception)』の中には、こんな一節が綴られている。
また、イギリスの作家オルダス・ハクスレー(1894年―1963年)は、このブレイクの詩に影響され、自らのメスカリン体験を綴った著作を『知覚の扉』と題した。
ジムは、これら二つの作品に共感を覚え、「扉(Doors)」という名前を提案したのだ。
もちろんメンバーは大賛成だった。
その名前、そしてそれを生んだインスピレーションは“彼らの在り方”と“彼らのやりたかったこと”を、完璧に表現していたからである。

<参考文献・ドアーズ・ロックンロール殿堂入り記念パンプレット『未知へのドアー、ここに開く』(1993年)/ポール・A・ロスチャイルド(著)石山淳(訳)>


「The Crystal Ship(水晶の舟)」/ドアーズ


お前の意識が無の中に滑り込む前に
もう一度 くちづけさせてくれ
もう一度 目くるめく至福の時を
もう一度 くちづけを…くちづけを

日々は光に満ちて苦悩に満ちる
包まれていたい お前の優しい雨に
お前の生きている時間は狂気に満ちる
もう一度会える…会える

―「The Crystal Ship(水晶の舟)」より―

ドアーズ『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ドアーズ〜40周年記念ミックス〜』

ドアーズ
『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ドアーズ〜40周年記念ミックス〜』

(2013/ワーナーミュージック・ジャパン)

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