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尾崎豊Oh My Little Girl〜本人亡き後にして“最大のヒット”となったラヴソングはデビュー前の大学ノートの中で産声をあげていた

2016.11.27

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こんなにも騒がしい街並に たたずむ君は
とても小さく とっても寒がりで 泣きむしな女の子さ


この「Oh My Little Girl」は、尾崎豊の13枚目(企画作品を含むと15枚目)のシングルとして1994年の1月21日に発表された。
記録によると、自身最大のヒット曲だという。
当時26歳だった尾崎が他界したのが1992年の4月25日だから…本人亡き後にしての異例の再リリース→大ヒットというわけだ。
きっかけはテレビドラマのタイアップだった。
1994年の1月10日から3月28日までフジテレビ系列“月9枠”で放送されたドラマ『この世の果て』の主題歌となり、放送に合わせシングルカットが決定したのだ。
発売初週のオリコンシングルチャートでは、初登場2位を記録。
発売2週目には1週目を上回る売り上げを記録し、尾崎にとって初のオリコンシングルチャート1位を獲得することとなった。
その後も順調に売り上げを伸ばし、最終的に107.8万枚を売り上げ、オリコン、日本レコード協会双方の集計でミリオンセラーを達成するまでに至ったという。
2001年公開の映画『LOVE SONG』では「Forget-me-not」と供に主題歌として使用され、2014年公開の映画『ホットロード』でも主題歌として抜擢され話題となった。

尾崎の死からすでに二十数年…時代を超えて愛され続けるこのラヴソングは、どんな経緯で誕生したのだろう?
もともとは尾崎のデビューアルバム『十七歳の地図』(1983年)に収録されており、2枚目のシングル「十七歳の地図」(1984年)のB面曲としても収録されていたもの。
原題は「セーラー服とリトルガール」で、デモテープ完成時には「となりのリトルガール」となり、プロデューサーの須藤晃の助言で「Oh My Little Girl」となったという。

1981年。
尾崎豊は、16歳の時にCBSソニーが行なっていたオーディションに応募する。
そのオーディションを主宰していた稲垣博司(当時ソニーミュージックに在籍)は、当時の尾崎の印象をこう語る。

「それまで過去3回の優勝者は、全てスタッフの紹介者だったが、彼は一般公募から初めて誕生した記念すべき優勝者だった。ほとばしる若さ、そのベースにある若者の傷ついたメンタリティを感じた。」

初のオープン応募から合格者となった尾崎豊のディレクター兼プロデューサーを担当することになったのが須藤晃だった。
高校生の尾崎は、須藤と初めて会った時にこんなことを訊いてきたという。

「テレビに出ているような芸能人ではなく、自分が考えていることをそのまま歌にしたい。世の中に流れている歌ではなく、自分の歌いたい歌を歌えますか?」

須藤は「勿論できる!」と答えた。
この会話から尾崎と須藤、二人の10年に及ぶ関係が始まった。
二人は作品を作る上で、様々な話をしたという。

「ある冬の寒い日、僕(須藤)が乗った満員電車の中でふと触れた制服姿の女子校生の手が余りにも冷たくて、つい握りしめてしまった。そんなことが歌になればいいね。」

そう須藤が提案すると、尾崎もすぐに反応する。

「そんな日常を歌にすればいいのか…」

こうして尾崎が書き留めた歌詞は、大学ノート30冊分にも及んだ。
きっとこの「Oh My Little Girl」も、この膨大な歌詞の中に綴られていたのだろう。
十代のやりきれない思いと悲しみ。
それは誰もが経験するもの。
尾崎豊はその思いを数々の歌に込めた。


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