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二人の友情〜ジョン・レノンの名盤『Rock ’n’Roll』の選曲にミック・ジャガーも関わっていた!?〜

2017.02.05

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1960年代、イギリスで誕生したビートルズとローリングストーングは人気を二分しながらもよきライバル関係でもあった。
ミック・ジャガーはジョン・レノンと初めて会った時に、とても謙虚さを感じたことを憶えているという。

「1963年、俺達はまだレコードを作る前で、何者でもなかった。当時、彼らはすでに超大物だった。ミュージシャンというだけじゃなく、まるでアイドルのようでね。確か革のコートを着てたよ。そう、俺達にはまだ買えなかった革のコートをね。」


その年の出来事だった。
結成してまだ間もないローリングストーンズがリッチモンドのクラブでR&Bやブルース、そしてチャック・ベリーの楽曲を中心に演奏していたある夜に(革のトレンチコートを着た)ビートルズのメンバーが突然現れて観客の傍らに立っていたという。
ミックはステージ上で彼らの存在に気がついてはいたものの、目を合わせることはしなかった。
ステージ後に、関係者から互いのメンバーを紹介される。
ミックはジョンと初めて交わした言葉を憶えていた。

ミック

「君がハーモニカを吹いているんだよね?」


ジョン

「いや、僕は君らのようには吹けないよ。吸って吹くだけ。僕達はブルースはたいしてできないんだ。」


それが初めて出会いだった。
以降、ビートルズはストーンズの演奏を聴きにやってきたという。
とくにジョンは他のメンバーよりも頻繁に現れた。
ストーンズも人気者になり始め、少しずつ距離を近めていく両バンド。



ある夜、ジョージ・ハリスンがミックに向かってビートルズがストーンズよりいかに多くのレコードを売っているか熱弁をふるった。
ミックはその時のことを鮮明に憶えていた。

「確かにそれは疑いようのない事実だったよ。ジョージはとてもそのことを強調したがっていたんだ。」


その時、ジョージの隣りにいたジョンがミックにこんな一言をかけてきたという。

「ジョージのことは気にすんなよ。こいつレコードが売れていることがまだ嬉しくてしかたないんだ。」


ミックはこのことをきっかけにジョンに好意を抱くようになった。

「俺はジョンが大好きだったよ。ビートルズのメンバーの中で一番気の合った男だった。大の親友ってわけじゃないけど、いつもフレンドリーだったよ。でもビートルズもストーンズもクラブで演奏をするのをやめると、お互いにあまり合わなくなったんだ。」


以降は、両者共にツアーやレコーディングに追われる日々となる。
当時、ブライアン・ジョーンズがビートルズに対してライバル意識が強く、何かというと競い合う関係となっていった。

時は流れ…ブライアンがこの世を去り、ビートルズも解散し、ジョンが最初にオノ・ヨーコと別居しはじめるまでは、ミックとジョンはあまり会わなかったという。
そして1974年以降、二人はこれまで以上に親しくなった。
たいていはニューヨークやロング・アイランドのモントークの別荘で会った。

「モントークではジョンは俺のところに泊まった。愉快な時間を過ごしたものさ。ひどく酔っぱらってヨットの上でギターを弾いたりね。」


「確かジョンがソロアルバム『Rock ‘n’ Roll』のレコーディングの準備をしていた頃で、ジョンが俺に何を選曲すべきか訊いてきたんだ。そこで二人でオールディーズの曲すべてに目を通して、彼が気に入ったものをチョイスしていったのを憶えているよ。」




この時期、ジョンはミックの曲「Too Many Cooks (Spoil the Soup)」をプロデュースする。
ファンの間では“幻の曲”と言われていたその歌は、長い時を経て2007年発表のミックのソロアルバム『The Very Best of Mick Jagger』に収録された。


その後、ジョンはヨーコのもとに戻ると1975年に誕生した次男・ショーンの子育てに専念にするため音楽活動を休止する。
ミックはジョンの近所に住んではいたのだが、ヨーコがミックのことを“悪影響”と考えたのか?再び二人は会わなくなった。

「一度か二度、彼らが暮していたダコタ訪ねたこともあるよ。“誰にも会いたくないのはわかるけど、もしも会いたくなったら電話をしてくれ”と書いたメモを残したんだけど…電話はなかったよ。」


<参考文献『メモリーズ・オブ・ジョン』/編者:オノ・ヨーコ/翻訳監修:斉藤早苗/翻訳:シクロス・サナエ(イースト・プレス)>

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