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Cold Cold Heart〜ノラ・ジョーンズやジョニー・キャッシュも歌い継いだ名曲にまつわるエトセトラ

2017.07.23

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この歌はアメリカ音楽史における最重要人物ハンク・ウィリアムスの代表曲の一つとして知られている。
記録によると1950年12月21日にレコーディングされ、翌1951年にリリースされたのが初出。
同年この歌を、パティー・ペイジの「テネシー・ワルツ」やローズマリー・クルーニーの「カモナ・マイ・ハウス(家へおいでよ)」などのプロデュースでも知られるミッチ・ミラーの進言によって人気歌手トニー・ベネットがレコーディングし、27週連続してチャートインを果たす快挙を遂げる。
その後も、ルイ・アームストロングやジョニー・キャッシュ、ナット・キング・コール、アレサ・フランクリン、ノラ・ジョーンズがこの歌をレパートリーにし、まさに世代やジャンルを超えて多くのミュージシャンや音楽ファンに愛されてきた名曲である。




Why can’t I free your doubtful mind and melt your cold, cold heart
どうやったら君の疑いを解き、その冷たい心を溶かすことができるんだろう?


そんなフレーズが切々とくり返されるこの歌は一体どんな心境で紡がれたというのだろう?
伝説のカントリー歌手として知られるハンク・ウィリアムス。
彼は29年間という短い人生の中で2度の結婚を経験した。
1944年12月15日、ハンクはオードリー・シェパードというミュージシャンの女性と結婚した。
それは、この歌がレコーディングされるちょうど6年前の出来事だった。
妻オードリーにとっては2度目の結婚。
ハンクにとっては初めての結婚だった。

彼は持病だった二分脊椎症による背中の激痛を和らげるために摂取していたアルコールやモルヒネ、その他の処方された鎮痛剤が原因で深刻な問題に陥っていったという。
そんな中、2人の間には後にハンク・ウィリアムス・ジュニアとして名声を得る息子が誕生する。
しかし…いつの間にかオードリーが心変わりをしてしまい、彼に対して急に冷たい態度をとるようになる。
ハンクは精神的に“孤立状態”となり…その時の気持ちをこの「Cold Cold Heart」綴ったのだという。


君こそ僕の夢だと一生懸命に訴えてきたつもりだけれど
君は悪意があるんじゃないかと僕のこと疑っている
孤独だった君の過去の思い出が二人を遠ざけてしまう
どうやったら君の疑いを解き、その冷たい心を溶かすことができるんだろう?


2人は1952年5月29日に離婚。
当時28歳となっていたハンクは、同年の秋にビリー・ジーン・ジョーンズという女性と結婚をする。
この結婚は2人にとってそれぞれ2度目の結婚であり、2人とも以前の結婚で子どもをもうけていた。
この時点で、彼のアルコール依存と薬物使用はさらに悪化しており、再婚相手のビリーや友人たちは彼を何とか立ち直らせようと努力したが…上手くはいかなかったという。
若くしてメインストリームにのし上がった彼だったが、しだいに仕事も失ってゆく。
そして1953年1月1日、ニューイヤーコンサートのためにストバージニア州チャールストンの市立公会堂へ向かう車中で彼は突然心臓発作をおこし、そのまま帰らぬ人となった。享年29。
それは最初にこの歌「Cold Cold Heart」がレコーディングされた日から、ちょうど3年が経った頃だった。
音楽では天才的な才能を発揮しながらも、常に繊細な心で愛を乞い続けた彼は…最期に誰を想って旅立って行ったのだろう?

<引用元・参考文献『スタンダード・ヴォーカル名曲徹底ガイド上巻』音楽出版社>

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