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アメージング・グレイス〜奴隷商人から牧師に転進した男が書いた悔恨と感謝の歌

2017.10.15

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アメージング・グレース(なんと甘美な響きよ)
私のようなろくでなしでさえも、救ってくださった
私はかつて道に迷っていたが、いま見つけ出された
私の目は真実が見えなかったが、今は見える


「最も歌われ、親しまれてきた曲を一つあげて下さい」

アメリカ人にこんな質問をすれば、大半が「アメージング・グレイス」と答えるのだという。
この他にも、ちょっと面白いアンケート記録が残っている。
20世紀最後の発刊あたる1999年12月号の『USAトゥデイ』誌は“次世代のためにタイムカプセルに入れて残しおきたいもの100”を掲載した。
缶切り
チャップリンの映画
ベルリンの壁の破片
小児麻痺ワクチン
バットマンの漫画などがあげられる中に、この曲のタイトルもあったという。
この歌の歌詞は、18世紀の後半にジョン・ニュートンという男が実体験に基づいて書いたものである。
作曲者に関しては「アイルランドかスコットランドの民謡を掛け合わせて作られた」「19世紀に南部アメリカで作られた」など、諸説あるが一般的には“不詳”とされている。また、この歌には“生誕の地”があるという。
ロンドンから北西に向かって列車で40分ほどのところにあるオウルニィという小さな町がある。
この町のセントピーター・アンド・セントポール教会が、この歌が生まれた場所だというのだ。
1773年1月1日、当時牧師だったジョン・ニュートンは教会に集まった信者たちにこの歌を初めて紹介したという。
歌詞は彼が数週間前(1772年の12月中頃)に綴ったものだった。
それまでも彼は、牧師として人々に説教をするときに、自ら作詞した讃美歌を使用していた。
当時の英国の一般的な宗教観からすれば、彼のやり方は必ずしもオーソドックスなものではなかった。
なぜなら英国国教会では、聖書の詩編を一定の韻律に従って歌うことは認めていたが、牧師が自分で作った讃美歌を歌うことを認めてはいなかったのだ。
詩編は神の言葉であり、それが人間の手によって汚されることは“好ましくない”と考えられていたからだ。
ではなぜジョン・ニュートンは自作の讃美歌を作ったのか?
それにはオウルニィで暮らす人々との深い関わりがあった。
オウルニィという町はレース刺繍で有名である。
その技術は16世紀にオランダからイギリスに持ち込まれたという。
その昔、オランダに住むプロテスタント派の人々が迫害された時期があった。
彼らは祖国を追われて英国各地に移り住むようになり…その一部がレース刺繍を“伝統技能”としてオウルニィ周辺で暮しながら細々と生活してきたのだ。
そんな貧しいオウルニィの町には、レース刺繍職人以外にも大工や鍛冶屋や小商いを営む人々もいたが、住民の多くは十分な教育も受けることなく、文字を読めない人が大半だったという。
ジョン・ニュートンは、そんな人達にも聖書の教えを説くために、日曜日の説教に加えて平日にも聖書講義を開催したり、子供を集めて聖書教育も行なっていたという。
当時、彼は友達に宛てた手紙に次のようなことを綴ってる。

「私は毎週子供達と会うことによって多くのことを(自分が)学んでいます。子供達と一緒にいると、身をかがめて自分の伝えたいことを理解されるように努めなければなりません。この子供達に歩みよるためのちょっとした行動・姿勢こそが、大人の関心を引きつけることのヒントにもなったのです。」

彼は常日頃から、誰に対してもわかりやすく聖書の教えを説こうと考えていたのだ。
この「アメージング・グレイス」という歌のルーツ紐解くにあたっては、ジョン・ニュートンという男が(牧師になる前に)奴隷商人だったことを語らなければならない。
なぜならば、その歌詞には彼の実体験が色濃く描かれているからだ。
この曲のタイトルはもともと「Faith’s Review & Expectations(信仰と反省と期待)」というものだった。
歌い出しとなる第一章の冒頭に“Amazing grace!”と出てくるので、いつの間にか曲名として定着していったというのだ。
また、この歌のタイトルから“ある誤解”がよく生まれるという。
“グレース”を女性の名前を勘違いして「アメージング・グレース(素晴らしきグレースさん)」と、解釈している人もいるという。
グレースさんは聖母でもなければ、美しい恋人でもない。
念のために…ここでいう“グレース(grace)”は、恵み、恩恵、感謝、(神の)恩寵といった意味である。


私の心におそれることを教えたのは神の恵みであり
私のおそれを除いてくださったのも神の恵み
神の恵みが如何に尊いかということを確信したのは
私が初めて神を信じたときだった

さて、この「アメージング・グレイス(素晴らしき恩恵)」は、どのようにして誕生したのだろう?
この歌詞はジョン・ニュートンが23歳になる年に、アフリカからイギリスへ帰る船の上で遭遇した大嵐の中での体験を元に書かれたものだと言われている。
1725年、彼は英国ロンドンに生まれた。
父親は商船の船長で母親は幼い頃から彼にに聖書を読み聞かせていたという。
敬虔なクリスチャンだった母親は、彼が7歳の時この世を去っている。
彼は成長すると、父親の歩んだ道に倣って船乗りとなる。
そして色々な船を渡り歩くうちに奴隷売買にも手を染めてしまい…若くして莫大な富を築くようになる。
アフリカで人々を拉致して“奴隷船”と呼ばれる船に乗せる。
白人がおこなった黒人達への扱いは、家畜同様、もしくはそれ以下であったという。
当時は船そのもの衛生状態も非常に悪く、沢山の黒人達が航行中に感染症や脱水症状、栄養失調で命を落とすこととなる。
1748年5月10日、彼にとって人生の転機が訪れた。
船長として乗っていた奴隷船が激しい嵐に遭遇し、遭難沈没の危機に直面したのだ。
彼は今にも沈んでいきそうな船の上で必死に命乞いをしたという。
敬虔なクリスチャンだった母親に育てられながらも、彼が心の底から神に祈りを捧げたのはこの時が初めてだった。
彼の船は奇跡的に難を逃れ…かろうじて死を逃れることが出来たのだ。
彼はこの日を自分で“第二の誕生日”と名付ける。

多くの危険、苦難、誘惑の罠を通り抜けてきた
これまで私が事なきを得て来れたのも神の恵み
そして神の恵みは私を安息の地へ導いてくれる


その後、彼は6年間奴隷船で売買を続けたが…30歳を迎えた1755年に奴隷売買から足を洗った。
そして必死の思いで勉強をし、懺悔の意味もかねて教会に多額の寄付をして…心をあらためて牧師となる。
月日は流れ…1772年の中頃、47歳となった彼は、過去に罪深い奴隷売買に関わったことを深く悔い「こんなろくでなしの自分でも神は赦して下さった」という神に対する感謝の気持ちを込めて一曲の歌を書き上げた。
この歌には、彼の黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えた神の愛に対する感謝が歌われているのだ。


<参考文献『アメージング・グレース物語:ゴスペルに秘められた元奴隷商人の自伝(増補版)』ジョン・ニュートン(著)、中澤幸夫 (訳)/彩流社>



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