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心の旅〜チューリップを一躍人気アーティストにした楽曲の誕生秘話

2017.11.12

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ああだから今夜だけは 君を抱いていたい
ああ明日の今頃は 僕は汽車の中

旅立つ僕の心を知っていたのか
遠く離れてしまえば 愛は終るといった
もしも許されるなら 眠りについた君を
ポケットにつめこんで そのままつれ去りたい


「ビートルズの影響です。最初の部分の“ああ”は歌詞が一音足らなかったんです。英語だと一音で“You”とか言えますけど、日本語は一文字しか歌えなくて…」(財津和夫)

1973年4月21日にリリースされたチューリップの3rdシングル「心の旅」。
彼らにとって初のヒットとなったこの歌は、イントロ抜きでいきなりサビから始まるという、当時としては斬新な楽曲だった。
チューリップは前年(1972年)に1stシングル「魔法の黄色い靴」でデビューを果たす。
デビュー曲も2ndシングルも売れず…リーダーの財津は追い込まれていたという。

「これでダメなら福岡に帰るつもりでした。」

まさに“背水の陣”の覚悟で曲作りに取り組んだ時に思い浮かべたのは、上京前の博多時代の心境だった。
その時期を振り返りながら財津はこう語る。

「上京前、当時憧れていた女性に“一晩だけ一緒にいて欲しい”と思いを伝えたことがありまして…まぁ一晩は付き合ってくれませんでしたが(笑)食事をしながら話だけは聞いてくれたんです。その時の思い出を膨らませてこの曲を書きました。」

“別れた彼女への想い”をテーマにしているが、財津はあるラジオ番組で真相を告白している。
歌に出てくる女性は財津の恋人ではなかったというのだ。
片思いの女性がいて、上京する前日にその女性と食事をしたという。
東京に行く決意は伝えたが…結局彼女への思いを伝えられないまま、食事が終ると女性は帰ってしまう。
歌の歌詞に『遠く離れてしまえば、愛は終ると言った』とあるが、彼女はそんな台詞を一言も言っていないというのだ。
愛が終る以前に、始まってもいなかったのだ。
また、この曲を作るに当たって財津が意識したのは、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」という曲だった。
その歌詞で歌われている“汽車の旅のロマン”が、幅広い層に受け入れられるのではと考えたという。


花嫁は 夜汽車に乗って
嫁いでゆくの
あの人の 写真を胸に
海辺の街へ
命かけて 燃えた
恋が結ばれる
帰れない 何があっても
心に誓うの


ようやく完成した“勝負作”のメインボーカルはギタリストの姫野達也が担当することとなった。
当時、彼らが所属していたレコード会社(東芝EMI)の社内にも「チューリップに何とかヒット曲を!」という空気があったという。
もともとは作詞作曲した財津が歌うはずであったが、レコーディングの直前になってディレクターの発案で姫野に決まった。

「財津より甘い声が魅力の姫野に歌わせよう!」

姫野の甘い声がこの歌詞には絶妙にマッチし、リリース直後からセールスはじわじわと伸びていった。
そして発売から5ヵ月後、ついにオリコン1位を獲得。
1973年9月18日時点で87万枚の売り上げを記録する。
こうしてチューリップは一躍、時代を代表する人気アーティストとなる。
チューリップのメンバーは、上京時から南青山のアパートで5人全員での共同生活をしていたが、この曲のヒットでその生活から解放されることになる。
財津は当時の心境をこんな風に語っている。

「あの曲のヒットによって、チューリップは自分たちの意思とは関わりなくアイドルになってしまった。」

ああだから今夜だけは 君を抱いていたい
ああ明日の今頃は 僕は汽車の中

にぎやかだった街も 今は声を静めて
なにをまっているのか なにをまっているのか
いつもいつの時でも 僕は忘れはしない
愛に終りがあって 心の旅がはじまる


このイメージから路線修正することになったのが翌年にリリースした「青春の影」だった。
■TAP the POP「青春の影〜チューリップの運命を大きく変えた一曲」
http://www.tapthepop.net/news/65530


<参考文献『フォーク名曲事典300曲』/富澤一誠(ヤマハミュージックメディア)>



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