「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the NEWS

2017 TAP the NEWS〜月別推し記事12選

2017.12.31

Pocket
LINEで送る

2017年も最後の一日となりました。
一夜明けると、そこには新しい年が待っています。
毎週日曜日に様々な切り口から音楽記事をお届けしてきたTAP the NEWSが 2017年に公開した記事を月別ダイジェストで振り返ります。
今年もご愛読いただき誠にありがとうございました。
皆様からの「いいね!」「シェア」そして「コメント投稿」に心から感謝しております。
これからもTAP the POP何卒宜しくお願い致します。
2018年はどんな出来事が起きるのでしょうか?
世界は?この国は?私達の暮しは?そして音楽の未来は?
願わくは、皆様の毎日が素敵な音楽と共に平和でありますように…♪


■2017年の出来事(時事通信フォトより)
https://www.jijiphoto.jp/ext/news/year/2017/


■Something〜ジョージ・ハリスンの最大のヒット曲はこうして生まれ、歌い継がれてきた(1月15日公開)
http://www.tapthepop.net/news/55810

この歌は、ビートルズ時代の公式発表曲の中で唯一シングルのA面収録曲となったジョージの作品であり、ビートルズ並びに彼の代表作として知られる。
「Something in the way she moves」という曲の冒頭の歌詞は、当時アップルレコードに属していたジェームス・テイラーの楽曲のタイトルから引用されている。

「このメロディーは確か、上下5音の範囲内に収まっていたはずだよ。
たいていのシンガーは自分の声域の中で無理なく唄うことができるはずだよ。
おそらく僕が作った曲の中では一番のヒット作だろうね。
僕の知る限り150種類のカヴァーバージョンが出ている。
その中でも気に入っているのは、ジェームス・ブラウンのものだね。
あれは素晴らしかった!」

(ジョージ・ハリスン)


■I’d Have You Anytime〜ジョージ・ハリスンとボブ・ディランによる“共作歌詞”はこうして生まれた(2月12日公開)
http://www.tapthepop.net/news/57071

この歌は作詞の一部をボブ・ディランが協力し、イントロを含むリードギターでエリック・クラプトンが参加という豪華な布陣で製作されたジョージ・ハリスンの名曲である。
ジョージがビートルズ解散後の1970年に発表した初のソロアルバム『All Things Must Pass』の1曲目に収録されたもの。

「当時、僕はザ・バンドに招待されてウッドストックを訪れていたんだ。ちょうどビートルズの『ホワイトアルバム』の直後のことだ。その頃、ボブ・ディランはバイク事故で首を傷めるという不幸な出来事に遭遇して以来、音楽シーンの表舞台から一時的に姿を消していたんだ。僕はボブの家に滞在し、奥さんのサラや子供たちとも親しくなった。3日目を迎える頃には、二人でギターを持ち出すようになったんだ…」

(ジョージ・ハリスン)


■二人の共同作業〜“レノン=マッカートニー”のクレジット表記について語ったジョン(3月12日公開)
http://www.tapthepop.net/news/58881

ジョン・レノンとポール・マッカートニー。
二人はビートルズ時代にどうやって一緒に曲作りをしていたのだろう?
様々な噂や逸話がある中、ジョンはこんな興味深い言葉を残していた。

「たとえばポールが作曲したMichelleだけど、僕達がどこかに泊まっていたとき、ポールが曲の出だしを口ずさみながら部屋に入ってきたことがあった。ポールが“この先のメロディーをどうしようか?”って僕に言うんだ。その時、僕はちょうどニーナ・シモンのI Put A Spell On Youを聴いていたので、そのメロディーを真似て“アイラブユ〜アイラブユ〜アイラ〜ブユー♪”と歌ってみせたんだ。それがきっかけでMichelleのサビの部分が完成したんだよ。あれがなければMichelleはただのバラードだったね。」



■洗練された楽曲が生まれた時代、シンガーソングライターたちが台頭した70年代(4月9日公開)
http://www.tapthepop.net/news/60043

1970年代…ミュージシャン達は30歳を超えても引退しようとせずに、自分の年齢に見合う音楽を作るようになった。
ジェイムズ・テイラー、エルトン・ジョン、キャロル・キング、ギルバート・オサリバン、ビリー・ジョエル、ジョン・デンバー…そしてブルース・スプリングスティーンなどがその才能を開花させた70年代。
それはロックやポップスがより身近な言葉や高い作曲能力によって新たな輝きを放ち始めた時代だった。
ジャズ、ブルース、カントリーミュージック、ロックンロール、R&B…脈々と続くミュージックシーンにおいて、ある意味最も音楽的に洗練され“豊作”だった10年だったのかもしれない。


■腰の間をいったりきたり〜性行為を直喩した稀代の問題作(5月21日公開)
http://www.tapthepop.net/news/62190

「私のために世界一美しいラブソングを書いてちょうだい。」


1967年の秋のある日、フランスの人気女優ブリジット・バルドーは親密な関係にあったセルジュ・ゲンスブールにこんなおねだりをした。
この曲は“稀代の問題作”として扱われながらも、リリースから程なくしてロンドンから火がつき、数週間でイギリス、オーストリア、ノルウェー、スイスなどの音楽チャートで首位となる。
当時、ゲンスブールといえば「夢見るシャンソン人形」のヒットでも知られる売れっ子作曲家であり、歌手、映画監督などとしてもその名を轟かせていた男である…


■僕の好きな先生〜高校生時代の忌野清志郎が慕った美術顧問の教師(6月18日公開)
http://www.tapthepop.net/news/62198

清志郎が書いたこの“先生の歌”には、モデルになった人物がいたという。
それは高校時代の担任だった小林晴雄という美術部顧問の教師だった。
楽曲がリリースされた3年前(1969年)の秋、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。それは清志郎の母、栗原久子(育ての親・伯母)からだった。

「18歳になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました。」


気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。

「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう。」



■96 Tears〜“パンクロックの元祖”と呼ばれた謎の!?混血バンドが放った珠玉のヒットナンバー(7月9日公開)
http://www.tapthepop.net/news/64347

彼らの名は“?(クエスチョンマーク)&ザ・ミステリアンズ”。
リードシンガーには名前すらない“?”の一文字。
それは「人種や名前で差別するな!」という“アウトサイダー然”とした彼らの意思表示だったという。
そんな彼らが放った珠玉のヒットナンバーを、ニューヨークのブルックリンが生んだ稀代のシンガーソングライター、ガーランド・ジェフリーズ(黒人、白人、プエルトリカンの混血児)が自身のアルバム『Escape Artist』で完璧なカヴァーバージョンを披露している。


■遠藤賢司の名曲カレーライス〜日常の中に描かれた三島由紀夫の切腹自殺(8月13日公開)
http://www.tapthepop.net/news/65799

70年代、日本においてのフォークソングはいわゆる“四畳半フォーク”と呼ばれるものが主流だった。
60年代から70年代にかけてアメリカでウッディ・ガスリーやピート・シーガー、そしてボブ・ディラン、ジョーン・バエズ等が歌った“プロテストソング”に影響を受けた日本のフォークシンガー達もいたのだが…時代と共に歌も変化してゆく。
彼らは身の回りの限られた空間、社会、恋愛、人間関係への思いを歌に込め、私小説的な色合いが濃い歌を唄うようになる。
そんな変遷の中で、このエンケンの「カレーライス」は精彩を放ちながらヒットした曲だった。


■ドレミの歌〜ペギー葉山の情熱と“超訳”のチカラ(9月17日公開)
http://www.tapthepop.net/news/67485

この国民的愛唱歌とも言える「ドレミの歌」は、一体どんな経緯で日本語に訳されたのだろう?

「当時、自分がブロードウェイにいることが“日本の代表”になったような錯覚をしちゃって(笑)帰国した時には“私しかサウンド・オブ・ミュージックの感動を知らない”っていう気持ちでした。そして“どうにかしてこの素晴らしい作品を日本でも広めたい”という一心でこの歌を日本語に訳しました。」

(ペギー葉山)


■防人の詩〜さだまさしが万葉集を基にして紡いだ究極の反戦ソング(10月8日公開)
http://www.tapthepop.net/news/68655

隣国の脅威、テロの恐怖、大国どうしの駆け引き…私たちが今ニュースや新聞で見聞きしている出来事は日々きな臭くなる一方です。
我々人間は、様々な過ちや悲劇を繰り返してきた歴史から何を学んできたのでしょうか?
この歌は日露戦争の旅順攻囲戦における日露両軍の攻防を描いた東宝映画『二百三高地』の主題歌として1980年7月10日に発売された。
海、山、空、季節、そして人間…すべてのものに宿る生命の限り、命の尊さを切々と歌い上げたその歌詞は奈良時代の末期に成立したと言われている『万葉集』の第16巻第3852番に基づいて作られたという…


■ミロール〜売春宿で育った伝説のシャンソン歌手エディット・ピアフの代表曲(11月5日公開)
http://www.tapthepop.net/news/70206

ピアフの父親は大道芸人で、母親はカフェや酒場などで歌う歌手だった。
幼少期は孤独で、親戚から親戚へと転々とし、祖母の経営する売春宿で育てられた時期もあったという。
13歳になった彼女は、親戚の家での肩身の狭い生活を離れ、パリの道端で歌う仕事を選択する。
パリのあまり裕福でない地区ピゲールの路上で、観光客や住人相手に歌い続け、聴き入る人たちに使い古しの帽子をまわして生活費を得る暮らしを何年もの間続けていたという。
この歌には港みなとを渡り歩く娼婦(日陰の女)の“粋”が描かれている。
売春宿で育った経験のあるピアフならでこそ出せる持ち味で、哀しい娼婦の身の上話や、男の失恋のいきさつなどが唄い語られた名曲である。


■I Don’t Want To Talk About It〜ドラッグで死んだ作者、その名曲を十八番にしたロックスター、小さなパブで唄い継ぐ女性シンガー(12月10日公開)
http://www.tapthepop.net/news/71234

アメリカ進出後、ロックスターとして世界的な成功を果たしたロッド・スチュワートは、長年に渡ってこの歌を十八番にしてきた。
コンサートのハイライト場面で彼と一緒にオーディエンスが大合唱するのも定番の光景となっている。
2004年、ロッドはロンドンのロイヤル・アルバートホールで行なわれた一夜限りのチャリティーライブのステージに立っていた。
旧友ロン・ウッド(ローリング・ストーンズ)や、クリッシー・ハインド(プリテンターズ)などもゲスト出演した大舞台で、彼は突然まったく無名の女性シンガーをステージで紹介する。
彼女の名前はエイミー・ベル(当時22歳)。
一週間前にスコットランドの北の町グラスゴーの路上で歌っていたところを、同郷のロッドが見出したという。
「歌を伝えること、素晴らしい曲を唄い継いでゆくこととは如何なるもなのか?」
ステージ上で、ロッドは彼女に大切なことを教えたかったのだろう。
たとえそれが路上であっても、小さなパブであっても、大きなステージであっても…変わらない、変えてはいけないものを。




【TAP the NEWSアーカイヴはこちら】
http://www.tapthepop.net/category/news


そして今年もまた、この歌を“最後”にご紹介させていただきます。

♪「最後のニュース」/井上陽水



「最後のニュース」/井上陽水

闇に沈む月の裏の顔をあばき
青い砂や石をどこへ運び去ったの
忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ
みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの

飛行船が赤く空に燃え上がって
のどかだった空はあれが最後だったの
地球上に人があふれだして
海の先の先へこぼれ落ちてしまうの

今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye

暑い国の象や広い海の鯨
滅びゆくかどうか誰が調べるの
原子力と水と石油達の為に
私達は何をしてあげられるの

薬漬けにされて治るあてをなくし
痩せた体合わせどんな恋をしているの
地球上のサンソ、チッソ、フロンガスは
森の花の園にどんな風を送ってるの

今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye

機関銃の弾を体中に巻いて
ケモノ達の中で誰に手紙を書いてるの
眠りかけた男達の夢の外で
目覚めかけた女達は何を夢見るの

親の愛を知らぬ子供達の歌を
声のしない歌を誰が聞いてくれるの
世界中の国の人と愛と金が
入り乱れていつか混ざりあえるの

今 あなたにGood-Night
ただ あなたにGood-Bye


handsam
井上陽水『ハンサムボーイ』
1990年/FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT,INC










Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

    関連記事が見つかりません

[TAP the NEWS]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ