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桃色吐息〜髙橋真梨子が実力派シンガーとして輝きはじめるきっかけとなった歌

2018.04.29

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日本人の心の琴線に触れる歌声で、幅広い世代から支持されている日本を代表する実力派シンガー、髙橋真梨子。
ニューヨークにある音楽の殿堂カーネギーホールで日本人初となる3度目の公演を実現して自身の記録を更新し続けている彼女が、1984年5月(当時35歳)に発売した10thシングル「桃色吐息」の誕生にまつわるエピソードをご紹介します。

──ペドロ&カプリシャスを脱退して、彼女がソロ歌手として活動を始めたのは1978年(当時29歳)のことだった。
その後、コンスタントにシングルを発表するも…これと言えるヒット曲には恵まれなかった。
そんな中、彼女を担当していたレコード会社のディレクターが昼田純一という若い新人に代わる。
昼田が担当した第一弾は、彼女にとって初の英語表記タイトルとなる8thシングル「for you…」だった。
今では彼女の代表曲として知られている珠玉のバラードだが、発売当初は芳しい売り上げではなかったという。
昼田は“次の手”を思いあぐねていた。

「このままではいけない。思い切った方向転換が必要かもしれない…」

バラード歌手としては確立したものの、発表してきた作品はいずれも似たような路線を踏襲したものばかりだった。
そんな時、彼女にCMタイアップの依頼が舞い込んでくる。
当時、夜の時間帯に大量のテレビコマーシャルを流し、タイアップ曲を次々とヒットに導いていたカメリア・ダイアモンドという宝石ブランド(株式会社 三貴)からの依頼だった。


曲を決める前の段階からすでに色鮮やかでエキゾチックなCM映像が先行して仕上がっていたという。
その映像を見た昼田は、即座に曲の発注を行なった。

「アクの強い映像に似合うのはアクの強い曲。佐藤隆さんに書いてもらいたい!」

佐藤からの返事はこうだった。

「ストックしているものから選んでいただければ…」

当初、数曲の中から昼田が目を付けたのは…すでに佐藤自身の名義でリリースが決っていた「マイ・クラシック」という曲だった。
決定しているものを奪い取るわけにはいかないので…昼田は思い切ってこんな発注を投げかけた。

「マイ・クラシックを下敷きにしたような曲を作って下さい!」


数日後、佐藤が完成させたメロディーは完璧なものだった。
次に昼田は作詞の発注へと動く。
当時、すでに数々のヒット曲を手掛けていた作詞家、康珍化(かんちんふぁ)のもとへ走った昼田がこんな一言でイメージを伝えた。

「中近東風にお願いします!」

メロディーを渡された康が最初に思いついた言葉は“桃色遊戯”だった。
とは言え、その先のイメージがなかなか膨らまずに…ペンが止まってしまう。
締め切りも近づき、行き詰まった康の心境はまさに“青息吐息”だったという。
言葉の世界からエモーションを作り出す達人として知られる康が仕上げてきたものは…合成語のタイトル「桃色吐息」だった。
康珍化は、この「桃色吐息」でその年の日本レコード大賞作詞賞を受賞している。


咲かせて 咲かせて 桃色吐息
あなたに 抱かれて こぼれる華になる

海の色にそまる ギリシャのワイン
抱かれるたび 素肌 夕焼けになる
ふたりして夜に こぎ出すけれど
だれも愛の国を 見たことがない
さびしいものは あなたの言葉
異国のひびきに似て 不思議
金色 銀色 桃色吐息
きれいと 言われる 時は短すぎて


こうして出来上がった楽曲に対して、高橋はこんな感想を口にしている。

「ビートルズのような曲でカッコイイ!と思いました。歌詞を読んでみると私が歌うにはセクシー過ぎるもので…ちょっとショックを受けたのを憶えています。だけど関係者から真梨子さんなら卑猥にならないと説得されて…渋々歌うことになったんです。あまり気合を入れて歌わなかったことが淡々とした仕上がりになって逆によかったのかもしれませんね。」

<参考文献『J-POP名曲事典300曲』/富澤 一誠(ヤマハミュージックメディア)>
<参考文献『昭和歌謡〜流行歌からみえてくる昭和の世相』長田暁二・著(敬文舎)>



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