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イメージの詩〜吉田拓郎の運命を切り拓いた一曲

2018.05.06

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これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり


吉田拓郎は、鹿児島出身の広島育ちである。
彼は高校時代からバンド活動を始め、1968年に広島フォーク村を結成して本格的に音楽キャリアをスタートさせる。
当時、大学4年生だった彼は河合楽器からの就職内定を受けながらも、音楽の道で食べてゆく夢を捨てきれずにいたという。
1970年になって、フォーク村の仲間たちとオムニバスアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を自主制作し、注目を集めるようになる。
そして同年の6月1日、彼は23歳にしてこの「イメージの詩」と「マークII」をカップリングしたシングルでエレックレコードからデビューを果たす。
この歌は、若き日の拓郎がボブ・ディランの「Desolation Row(廃墟の街)」にインスパイアされて作ったという。
吉田拓郎と広島フォーク村は、この一曲によって世に知られるようになったと言っても過言ではない。
拓郎にとっては、まさに運命を切り拓いた一曲なのだ。


60年代後半から70年代と言えば…燻りつづける学園紛争の熱と共に、若者たちの間ではベトナム反戦、安保反対の嵐が吹き荒れていた時代。
そんな時代を背景に、若者たちが“フォークの神様”と崇めたのが岡林信康だった。
当時、“反体制の英雄”として祭り上げられた岡林を、新聞は芸能欄ではなく社会面で取り上げていたという。
岡林を中心とする関西フォーク勢は、演歌や歌謡曲にはない思想性に付加価値を持つようになる。
こうして一気に隆盛していったフォークミュージック界における“次の英雄”として登場したのが吉田拓郎だった。
若くして時代の寵児になった彼だったが…デビュー直後は“下積み生活”も経験したという。
拓郎自らレコードの梱包作業を行い、トラックに積み込んでレコード店を回り、ステレオなどの新商品の全国キャンペーンに帯同して店頭で歌うこともあった。
ある時はミカン箱の上で歌い、ある時は子供審査員に審査され、またある時はNHKのオーディションに落とされるなどなど…新人アーティスト吉田拓郎は、それでも腐らずにこの歌を届けて回ったという。
エレックレコードの専務兼プロデューサーだった浅野勇は「イメージの詩」を初めて耳にしたときの気持ちを鮮明に憶えていた。

「この男に賭けてみよう!ひょっとしたら大変な男になるかもしれない!少なくとも一年や二年賭けてみる価値のある男だろう!この歌で彼をデビューさせるための結論を出すのに時間はかかりませんでした。」

古い船には新しい水夫が
乗り込んで行くだろう
古い船をいま 動かせるのは
古い水夫じゃないだろう


この歌のオリジナルバージョンは42番まであるという。
レコーディングされ、一般的に知られているのはいわゆる“ダイジェスト版”なのだ。
拓郎はこの長い歌を唄い上げる際(時に応じて)歌詞を付け加えるという。
それにどんな意味があるのか?どんな想いをもってのことなのか?
ディランがそうであるように、当時の拓郎もまた多くを語ることはなかった。
この歌が誕生して約50年の時が流れようとしている。
昭和から平成へ、そして平成も今幕を降ろそうとしている。
変わりゆくもの、変わらないもの…そして我々が忘れてはいけないものを、吉田拓郎とう詩人が教えてくれる。


<引用元・参考文献『フォーク名曲事典300曲』/富澤一誠(ヤマハミュージックメディア)>








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