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名プロデューサー、ダニエル・ラノワが手掛けたエミルー・ハリスの名盤『Wrecking Ball』の制作秘話

2018.08.03

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ボブ・ディラン、ウィリー・ネルソン、エミルー・ハリス、U2、ニール・ヤング…
そんな大御所アーティストたちの作品を手掛けてきた男ダニエル・ラノワ。
故郷カナダの小さな町から出発して、世界でトップクラスの音楽プロデューサーとなった彼は、シンガーソングライターとして、そしてギタリストとしても素晴らしいキャリアを重ねてきた人物だ。
音楽関係者の間では、こんな言葉と共に高い評価を得ている。

「スキルを超えて、予算を越えて、イメージとエゴを超えて…彼の仕事と音楽は、
献身と魂の価値を示してくれる。」


伝統と革新の完璧な調合を一生懸命に追い求める彼を、多くのアーティストもリスペクトしているという。


「1994年、事務所を通じて連絡が来たんだ。エミルー・ハリスの次回作“Wrecking Ball”のデモ数曲が入ったカセットテープが私のところに届いた。彼女は私のソロ作品だけでなく、プロデュースで関わった他の多くの仕事を知っていて、気に入ってくれていたんだ。」


彼はエミルーが準備していた楽曲たちのシンプルさに心を打たれた。
若い頃から彼女の歌を聴いて育ち、仕事をするにあたっても彼女の作品(特にスティールギターの演奏)を参考にした場面が何度かあったという。

「そのテープには熟練した歌い手の声が録音されていた。何とも言えない“自信”と“儚さ”を感じたよ。70年代に彼女とグラム・パーソンが歌った“Love Hurts”を思い出したよ。」



1970年代のポピュラー音楽シーンでは、カントリーミュージックとロックンロールの融合というムーブメントがあった。
エミルー・ハリスはその中にいた一人だった。
ニール・ヤングなども同じ流れの中で注目されたアーティストである。
彼女が次回作の表題曲として選んだのは、ニール・ヤングの楽曲「Wrecking Ball」だった。

「まずナッシュビルにある彼女の自宅に行って、一緒に音楽を聴く提案をしたんだ。一族全員が出迎えてくれたその家は、なかなか経験する機会のない“尊厳あるアメリカ的価値観”で満ちていた。そして強い愛国心を感じた。品位とコンパッション(他者への愛)が至るところにあり、家族の歴史を示す写真や記念の品がどの部屋にもあった。あの家で私はジョニー・キャッシュ、ドリー・パートン、グラム・パーソンズ、リンダ・ロンシュタット、カーター・ファミリー、ジョージ・ジョーンズの存在を感じた。それらはアルバム“Wrecking Ball”の制作のための守護霊たちのようなものだった。」


その日、彼はエミルーの感情が導くアルバムを作ろうと決心したという。
そして“クラシック”となるような作品が完成することを願いながら制作に取りかかった。

「アルバム“Wrecking Ball”が和声的で豊かなものなったのは、アパラチアの楽器のシンフォニーを発見したことが大きい。あの奇妙で美しいバランスが私の好きな60年代のレコードの音を再現してくれた。フィル・スペクターによるクリスタルズのサウンドのように、背筋がゾクっとするレコードを作るチャンスが私にも訪れたんだ。私はエミルーと共に、アルバムの中に様々なものを詰め込んだ。家族の歴史、深く根ざしたアメリカの価値観、アパラチアの記憶、古きアイルランドのメロディーの残響などなど…」



完成後、レコーディングが行なわれていたニューオーリンズのスタジオに、ニール・ヤングが自家用ジェットに乗ってわざわざやって来た。
到着してすぐにミックスしたばかりの作品をコントロールルームで聴いたニールは、同行していた妻のペギーとスローダンスを踊り始めたという。

「私は感動し、ニールが我々のバージョンを認めてくれた証だと解釈したよ。」


踊り終えたニールはおもむろにピアノの椅子に座って、“Wrecking Ball”のためのハーモニーを作り始めたという。そして“Sweet Old World”にハーモニカを重ね、バックコーラスも録った。

「私は心はニールやエミルーといったヒーローたちに囲まれ、故郷カナダで過ごしていた少年時代に戻っていた。」


<参考文献『ソウル・マイニング 音楽的自伝』ダニエル・ラノワ(著)鈴木コウユウ (翻訳)/みすず書房>




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