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デヴィッド・ボウイ少年時代①〜3歳で化粧!?エルヴィス・プレスリーの衝撃

2018.09.09

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1947年1月8日、デヴィッド・ボウイはロンドン南部ブリクストンで生まれた。
この日は奇しくも稀代のスーパースター、エルヴィス・プレスリー(当時12歳)の誕生日でもあった。
彼が生まれたその街は、ランベス・ロンドン自治区にあり、アフリカ系移民が多く住んでいるエリアとして知られている。
当時そこに暮す人達のほとんどが労働者階級者で、皆が貧しく、通りは殺風景で、うらぶれた雰囲気の街だったという。
しかし、その地にはデヴィッドの独創的な発想やスタイル、未来の青写真となる風景が存在してたのだ。
ランベスには第二次世界大戦中、ドイツ軍によってブリクストンには何百発という爆弾が投下された。
その攻撃の惨害がとくに酷かったのが、彼の自宅から半径数マイル以内の地域だったという。
戦後、被爆地には月面クレーターを思わせる荒涼とした風景が広がり、そこには薄い壁で仕切られただけの、急ごしらえのプレハブ住宅が建てられていった。
荒れ果てた不毛の地は、まるでどこかの惑星のようだったという。
デヴィッド・ボウイ初のヒット作となった「Space Oddity」や「Starman」「Life on Mars?(火星の生活)」、そして映画作品『The Man Who Fell to Earth(地球に落ちて来た男)』には、彼が幼い頃に見た原風景が重ねられているという。




彼の父親ヘイウッド・ステントン・ジョーンズは、子供達のためのチャリティー団体バーナードスで広報活動をしていた。
母親マーガレット・マリー(ペギー)は当時、ウェイトレスだった。
両親が共働きだったため、デヴィッドは隣り街にある保育園に通っていた。
母ペギーはある出来事を通じて息子が“普通でない”ことに気がつく。
デヴィッドが3歳の頃、家の鏡の前で化粧をしているところを目撃したのだ。
化粧品は同じアパートの上階に住んでいた女性のものだった。
口紅やアイライナー、フェイスパウダーを顔に塗りたくって…まるでピエロみたいだった。
ペギーは、驚きと共に彼を叱り飛ばした。

「化粧品はあなたが使うものではないのよ!」


デヴィッドはペギーに向かって鏡越しにこう言い返したという。

「だってママだってしてるじゃないか…」


ペギーは困惑しつつも、化粧品なんて小さい男の子が遊ぶものじゃないという点だけ息子に説明した。
しかし、この出来事からほんの数年後にデヴィッドが芝居の真似事ようなことを日常的にやり始めた時、彼女は叱ったりしなかった。
そして彼が5歳の時、保育園でキリストの降誕劇をやることとなった。
羊飼い役の息子のために、ペギーは衣装や帽子を縫い、父ヘイウッドは小道具の杖を作ってやった。
その演劇体験を通じて、ペギーは息子の才能に知ることとなる。

「あの子は仮装や化粧をすることに喜びを覚えていたわ。何か特別なものを持ってるって気づいたのはそのときよ。」


その確信は、彼がラジオ番組でアメリカのエンターテイナー、ダニー・ケイの『尺取り虫』を聴いている様子を見てさらに強まったという。

「周りのみんなに“黙って聴いて!”と言って、音楽に合わせて自分一人で飛んだり跳ねたりしてみせて、注目されることを楽しんでいたの。当時、あの子はバレエダンサーになるかもしれないと思ってたわ。」


ペギーの妹(叔母)も当時のデヴィッドについてこんな発言を残している。

「いつも自分のやり方で髪の毛をとかしたがってたわ。自分のことを人と違ったように見せようとするの。私が整えてあげても、自分でやり直さないと気がすまないみたいで、しょっちゅう鏡に移った自分の姿を眺めていたわ。」


そして1953年、デヴィッドが6歳を迎えた年に一家はロンドン南東部に位置するブロムリーという郊外の街に引っ越しをする。
今まで暮してきたアパートとは違い、部屋が4つとキッチン、屋根裏部屋もあるテラスハウスだった。
彼の部屋は、隣接するパブの背面を見渡す位置にあった。
土曜の夜などは、酒盛りの喧騒が部屋に聞こえてきたという。
当時のことをデヴィッド本人が語った記録がある。

「その頃、僕は自分の部屋で本を読んだり、何かを想像して楽しんだりするのが好きな子供だったんだ。空想の世界でたくさんの時間を過ごしたよ。あまり社交的じゃなかったからね。」


そして彼が8歳になった年、とうとうロックンロールとの出会いが待っていた。
その頃、母ペギーはラジオから次々と流れてくるエルヴィス・プレスリーのヒット曲に圧倒されていた。
息子の誕生日がエルヴィスと同じということから、勝手に運命的なものを感じていたという。

「母から繰り返しエルヴィスの曲を聴かされたよ。母はその勝手な思い込みのおかげで、すっかり有頂天になっていたよ(笑)」



1956年、発売されたばかりのエルヴィスの「Hound Dog」に合わせて、母や叔母が体を激しくゆらして踊る姿を見て、彼は今まで感じたことのない感覚を感じたという。

「衝撃的だったよ。音楽の持つパワーを生まれて初めて実感した瞬間だった。そのあとすぐにレコードを集め始めたんだ。」


<参考文献『デヴィッド・ボウイ 気高きアーティストの軌跡』ウェンディ・リー(著)江上泉(翻訳)/ヤマハミュージックメディア>

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