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エリック・クラプトン少年時代①〜複雑な家庭環境、ジェリー・リー・ルイスの衝撃、自己流で弾き始めたギター

2018.10.07

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彼の生い立ちは複雑だった…
母親のパトリシアは彼を産んだ当時、未婚の16歳だったという。
父親は英国に駐留していた既婚のカナダ兵だった事から、彼は祖母に預けられて彼女の再婚相手の子供(実母とは異父兄弟)として育てられたのだ。
彼はそこで青年になるまでの時期を“リック”と呼ばれて過ごした。
その後、母親はクラプトンを引き取ることはなく、別の男性とドイツで結婚する。
この複雑な家庭環境が長い間、彼の心に暗い影を落とすことになる。
音楽に興味を持つようになったのは、ビッグバンドのジャズなどを聴いていた15歳上の叔父(戸籍上では兄)の影響だった。
彼は10代になった頃から、ラジオから流れてくるスキッフル(Skiffle)というルーツミュージックやロックンロールを夢中になって聴いていたという。
1953年のある日、彼はテレビの中で「火の玉ロック」を歌うジェリー・リー・ルイスの演奏を見て心を奪われた。

「まるで宇宙人を見ている気分だった。そして突然悟ったんだ!ここにいたら何も変わらないけど、テレビには未来が映っていたんだ。僕もあそこに行きたい!」



ワイルドにピアノを弾きながら歌う男と、その後ろで演奏をしているメンバーが抱えている楽器(ベース)に彼の目は釘付けになっていた。
その当時の彼は、ギターとベースの区別すらついていなかったという。
ただひたすらその楽器が欲しくなり、一度は木を削って自作で作ろうとしたが…結局は家族にねだって“エルヴィス・プレスリー”という名前で販売されていたプラスチック製のギターを買ってもらった。
そして13歳の誕生日に祖父母から本物のガットギターをプレゼントしてもらい、彼はギタリストとしてのキャリアをスタートさせる。

「それはドイツ製の“HOYER”というメーカーのもので、値段は2ポンドくらいだった。見た目はスパニッシュギターのような形で、ナイロン弦でなくスチール弦が張られていた。おかしな組み合わせで(笑)初心者にはかなり弾きにくかったよ。まぁ当時はギターを弾くどころかチューニングもできなかったから、あまり気にならなかったね。まず、ギターがこんなに大きいものだとは思ってなかったんだ。自分の身体と同じくらいあったそのボディーを何とか抱え込むだけで精一杯だった。ネックは太くて握れないし、弦高が高くて押さえることすらままならなかったことを憶えてるよ。」


それでも彼は誰に教わることなく、自分の耳で弾き方を学ぼうとした。
「A」 と「D」のコードを偶然に発見して、当時は自分が発明したものだと思い
込んでいたらしい。
彼は毎日のように家の階段の最上段に座っては、レコードで聴いたものとソックリな“響き”を作り出して楽しんでいた。

「最初に覚えようとした曲は、ハリー・ベラフォンテの歌で流行った“Scarlet Ribbons”というフォークソングだった。ジョッシュ・ホワイトがやっていたブルースっぽいバージョンも魅力的だった。とにかくレコードを何度も聴きながら演奏して、完全に耳だけで覚えたよ。」




そうこうするうちに学校の成績が下がりだし、一方で美術に対する適性を見せるようになった。
祖父母は彼に“商業アート”の道を奨め、彼の興味と才能に合ったカリキュラムのある高校に入学させた。
その後は本人の頑張りもあって、1961年にキングストン大学のデザイン科への条件付き入学許可書を手に入れる。
だが、そこでグラフィック系のステンドグラスデザインを専攻したことを、彼は後に後悔したという。
当時の彼は、どちらかというと芸術学部系の多くいたボヘミアン的な連中と友達になりたかったのだ。
彼の素行は日に日に堕落し、昼休みから酔っぱらってキャンパスをうろつくようになる。
ほどなくして祖父母は、キングストン大学の学長から一通の手紙を受け取る。
当然のことながら、このままの状態で授業をサボることを続けるのならば、籍が危うくなるというのだ。
実のところ、この頃の彼にはアートスクールの授業の他に大いに時間を費やしていたものがあり…その“研究”に関しては並外れた集中力を発揮していたという。

「毎夜、リックの部屋から聴こえてくる調子外れな音に頭が変になりそうだったわ!」


エリック・クラプトンの祖母(育ての親)は当時のことを回想しながらこんな風に語っている。
彼は自室に何時間も籠って、ギターのテクニックに関する法則や秘訣を必死に解き明かそうとしていた。
ポータブルのテープレコーダーに録音した自分の演奏を聴きながら、まるでエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーにでもなったかのように喜んでいたという。
しかし、それだけでは彼の研究心はじゅうぶんに満たされなかった。
イギリスの田舎町で育った青年は、いつしかロックンロールを通じてその起源に辿り着こうとしていたのだ。
彼が“より純粋なサウンド”として惹かれたもの…それはブルースだった。


<参考文献『名盤の裏側:デレク&ザ・ドミノス インサイド・ストーリー』ジャン・レイド(著)、前むつみ(訳)/シンコー・ミュージック>

<参考文献『エリック・クラプトン自伝』エリック・クラプトン(著)、中江昌彦(訳)/イースト・プレス>

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