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ジョーン・バエズ少女時代②〜昼休みに学校で唄っていた中学時代、政治に関心を深めていった高校時代

2018.10.28

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幼い頃にはじめたピアノ、そして合唱、さらに彼女は父親の知り合いの手解きを受けてウクレレの演奏も始めていた。
当時、ポピュラー音楽のほとんどが、カントリー&ウェスタンとリズム&ブルースだったという。
彼女はまだ中学生だったにも関わらず、その90%の曲で使われている4つのコードをすでにマスターしていた。

「昼夜問わず耳でメロディーを覚え、歌詞を聴き取り、正しいキーを探し(CかGかしかなかったけれど)、自分だけの曲を作っていくその時の満足感といったらとても言葉で言い表すことはできないほどだったわ。学校では“才気あふれる芸術家”なんて呼ばれて注目されるようになっていた。少しの人数だったけれど…友達にも恵まれた。バニー・キャブラルはメキシコ人なのに、私といるときはスペイン語を話そうとしなかった。私たちは姉妹のようにいつもそばにいた。彼女には4人の男兄弟がいて、彼女の家で夜遅くまで過ごしながら、ラジオでリズム&ブルースの専門局を聴くのが大好きだった。彼女の兄のアレックスは私に好意を持ってくれていて、最初のデートの相手となったの。14歳のクリスマスの夜に彼は作曲家アラン・ホヴァネスの“The Flowering Peach”というアルバムを私にプレゼントしてくれたの。」


14歳になった彼女は「人前で唄いたい!」という衝動にかられる。
学校にウクレレを持参し、昼休みになるとみんなが食事をしているあたりをうろついて、何かリクエストされるのを待ったという。

「お声がかかると、私はまずジョー・スタッフォードも唄った“Suddenly There’s A Valley”を披露するのが定番だった。当時、この歌は私の一番のお気に入りだった。暗中模索の十代に、この歌こそが得体の知れない私の悩みに希望をもたらしてくれたわ。そして地球上のあらゆる問題にも、いつかは終りがくると信じる力を与えてくれたの。」

いちばん高い山を目指すとき
友達なんかできやしないと悩むとき
突然ひらける眼下の谷
大地が人の幸せを教えてくれる
そして…生命と愛が始まる


「昼休みのミニコンサートは連日大盛況だった。モノマネもやったわ!エルヴィス・プレスリー、デラ・リース、アーサ・キット、ジョニー・エース…気がつくと、私は自意識過剰のアウトサイダーからお笑いのスターへと転身をはかっていた。」

そんな中学校生活を経て、彼女は高校へと進学した。
父親がスタンフォード大学での教授の仕事を引き受け、一家は同じカリフォルニア州にある大学の近くの町へと引っ越した。
高校では肌の色で差別されることもなく、彼女は音楽、政治、平和活動への興味をますます深めていったという。
世界の諸問題に対して考える学生集会や、非暴力革命を計画する牧師の講演会などに参加するようになる。

「私はその頃、27歳になるアラバマ出身の黒人牧師の演説にひどく心を動かされたわ。彼は後に“キング牧師”としてアメリカを大きく変える人となった。それまで思いは募っているのに上手く表現できなかった私の平和主義に対して、彼は信念を与えてくれたの。」

そんな高校生活をおくる中、彼女はとうとう貯めていた50ドルでギブソンのアコースティックギターを手に入れる。
まだ身長も低く、か細かった彼女にはギターが大きく感じられたという。

「今思うと、よくネックに手が回り弦を押さえられたものだと。というのは、立ち上がるとギターのボディーが膝のあたりまで下がり、身体を二つに折り曲げないとネックをつかめなかったのよ。ギターの知識もなく、ストラップを短くするなんて発想もなかったから(笑)」

程なくして彼女はハリー・ベラフォンテの歌声に魅せられ、ピート・シーガーの音楽に触れる。
そして当時“フォークの女王”と呼ばれていたオデッタの存在を知り、すさまじい熱意を持って彼らに傾倒してゆくこととなる。

「ハリーの“Scarlet Ribbon”、ピートの“Down by the Riverside”を唄えるようになるまで何度も練習したわ。オデッタに関しては彼女のすべてが憧れだった。」





高校卒業後、彼女はボストン大学に入学する。
在学中にも関わらず本格的に音楽キャリアをスタートさせた彼女は、1959年(当時18歳)アメリカの音楽史上最大規模のフェスといわれた第1回“ニューポート・フォーク・フェスティバル”に出演する。
その頃、アメリカはベトナム戦争に突入しており、反戦集会の様相も呈していたこのフェスに、彼女はなんと真っ赤な霊柩車で乗り付けて反戦をアピールした。
繊細かつ艶やかな伸びのある歌声で聴衆を虜にし、一夜にして彼女はフォーク界のヒロインとなる。
翌年、1stアルバムの『Joan Baez』でレコードデビューを果たす。
1961年にリリースした2ndアルバム『Joan Baez Vol.2』はゴールドアルバムを獲得。以降その地位を不動のものとし、彼女は“フォークの女王”と称される存在となってゆく……

<参考文献『ジョーン・バエズ自伝―WE SHALL OVERCOME』ジョーン・バエズ (著)矢沢寛(翻訳)佐藤ひろみ(翻訳)/ 晶文社>


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