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チャック・ベリー少年時代①〜貧しい日々に聴いた母親のゴスペル、一台のラジオから流れてきた“忘れられない”曲たち

2018.11.18

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チャック・ベリー。
ロックが好きならば、彼の名を知らない人はいないだろう。
ボ・ディドリーやリトル・リチャードと並び“ロックンロールの創始者の一人”として知られている人物だ。
ビートルズのジョン・レノンが「ロックンロールに別名を与えるとすれば“チャック・ベリー”だ」と発言しているほど、後進のロックアーティストたちに多大な影響を与えてきた彼。
そんなロックンロール史上最大のレジェンドが、幼い頃ににどんな日々を過ごしていたのか?どんなきっかけで音楽と出会い、ギターを弾き始めたのか?
彼の少年時代、青春時代のエピソードをご紹介します。


──1926年10月18日午前6時59分、彼は米国ミズーリ州セントルイスにある実家の寝室で産声をあげた。
レンガ建ての3部屋しかない小さなその家は、セントルイスにある黒人街の中でもとりわけ治安・環境のいいグッド・アヴェニューという通りにあった。
4番目の子(次男)として生まれた彼の上には、長男、長女、次女の兄と姉達がいた。
彼が生まれた後にも両親は子作りに励み、兄妹はぜんぶで6人にもなったという。
“チャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー”という洗礼名を受けた彼は、幼いころから聖歌隊に入り音楽に親しんでいた。

「うちの家は教会から1ブロック半のところにあったんだ。我が家では歌をうたうことが日常的であり、ごくあたりまえのことだった。俺は、おふくろが家事をしながら歌っていたゴスペルを聴きながら育ったんだよ。家族の一人が歌いだすと、誰かがそれにハーモニーをつけて歌いだす。俺の音楽に対する興味や感覚は、そんな日常の中で自然と育まれていったんだ。」


彼の父親は隣りのミズーリ州にある製粉工場で働いていた。
母親は外に働きにでたことがない人だった。
一家の暮らしは貧しく、日々節約を重ねながら何とか食いつないでいたという。

「少しでも部屋を離れる時には必ず電気を消して電気代を節約していたよ。お皿に盛られた食事は好き嫌いなどする余裕もなく残さず食べた。子供達は自分ができる家事の手伝いをやった。あまりの貧乏から兄妹が喧嘩することもあったが、家族の結束力と愛情は強かったよ。」


1932年、それは彼が6歳の頃の出来事だった。
当時、ベリー家の居間には一台のラジオがあった。
夕食後に家族みんなで台所を片付けて、テーブルをきれい拭き、宿題を済ませて、番犬のバーニーに餌をやり、ストーブの灰をかき出して薪を入れてた後でなければラジオのスイッチを入れることが許されなかったのだ。

「小さなスピーカーから流れてくるカントリーミュージックの美しいハーモニー、ファッツ・ウォーラーのピアノ演奏、それに“My Buddy”や“Fraulein”といった第一次世界大戦の頃の懐メロは一生耳から離れないだろう。」





音楽への興味が増すにつれて、今度は彼の中で“性”への目覚めが起こってくる。
彼は自身が12歳だった頃を振り返ってこんな思い出を語っている。

「おしべとめしべの世界から人間の男と女の世界に好奇心を持ち出した元気盛りの12歳だ。可愛い女の子のそばにいる時の興奮は、手を握ったりキスをしたりするだけではおさまらない。女の子と“行為”を行なうことで頭がいっぱいになる。何よりもガールフレンドが死ぬほど欲しかったよ。だけど当時の俺は内気で、恥ずかしくて女の子とまともに口をきくこともできなかったんだ。」



<参考文献『チャックベリー自伝』チャックベリー(著)中江昌彦(訳)音楽之友社>

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