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ロッド・スチュワート少年時代①〜戦後のロンドンの風景、父親からプレゼントされたクラシックギター

2018.12.02

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1945年1月10日、彼はロンドン北部にあるハイゲートという小さな町で誕生した。
時はまさに第二次世界大戦の真っ最中だった。
当時、父親は42歳、母親は39歳で彼の上にはすでに4人の兄姉(二人の兄、二人の姉)がいた。
5人目の“末っ子”として生まれた彼は、両親と兄姉たちから温かく迎えられたという。
両親はロンドン北部で新聞販売業を営み、一家は店の2階に住んでいた。

「そこはアーチウェイ・ロードにある長屋だった。とにかく狭い部屋だったよ。そのこ窓はドイツ軍の爆撃のせいで何度となく吹き飛ばされていたから、親父は出費を減らすためにガラスじゃなく板を打ちつけていたんだ。」


彼の誕生エピソードとしてこんな話が残っている。
母親は彼を出産した数週間後に、ドイツ軍のV2ロケットがちょうど通りの向かいの警察署へ命中したというのだ。

「俺が生まれた後、まだ“おくるみ”にくるまれていた時も、ロケット弾は容赦なく町に着弾していたらしい。数ヶ月後には戦争も終息し、時代が大きく変わってゆくこととなる。」


父親は彼が幼い頃、配管工として一日12時間働いていた。
酒好きとして知られるスコットランド人だったが、彼の父親は酒を一切やらない男だった。
昔、どこかの建築現場で無理に呑まされたことがあり、それ以来「酒は口にしない!」と誓ったらしい。
煙草とギャンブル(競馬)は好きだったが、5番目の子供(ロッド)が生まれてからは、資金繰りに悩まされていたという。
彼の家には、一つだけ当時にしては“高級品”と呼ばれるものがあった。

「家には電話があったんだ。なぜかって?それは親父が趣味でサッカーグラブを運営してたからさ。週末だけ活動する地元のクラブで、兄たちと一緒に俺もそこでサッカーをおぼえたんだ。」


戦争の傷痕が生々しく残る時代…イギリスは復興に向けて様々なものがうごめいていた。
その兆しが映画や音楽といった娯楽にもあらわれていたという。
彼が8歳の時に、母親が「今までで一番おもしろい映画だから!」と、息子を映画館に連れてゆく。

「おふくろの言葉に偽りはなかったね!それは“ぼくの伯父さんの休暇”という映画だった。ドタバタコメディなんだけど、実に繊細な作品なんだ。あんなに笑ったことはなかったね。」




小学校では先生の言いつけを守り“可もなく不可もなく”といった生徒だった彼は、12歳で受けた中等教育コースの選別試験に落ちると、ウィリアム・グリムショー・セカンダリー・モダンスクールという中学校に通うこととなる。

「その学校には、俺と同じ頃にキンクスのレイとデイヴィス兄弟も通っていたらしいが、そのことを知ったのは何年もあとになってからのことだった。学校での俺はサボりもしなければ、問題を起こすこともなかった。教室や運動場で皆の注目も集めるタイプじゃなかったし、その頃はまさか自分が人前で歌うようになるなんて夢にも思ってなかったよ。」


サッカー好きで、鉄道模型の収集が趣味で、いたって真面目な学校生活を送っていた彼に、ある日転機が訪れる。
15歳の誕生日に、彼は父親からクラシックギターをプレゼントされる。

「俺が欲しかったのは木でできた鉄道模型の駅舎だったんだけど、なんで親父は俺へのプレゼントにギターがいいと思ったんだ?どっかで拾ったとか、安かったとか…理由は考えられるけどね(笑)俺は不満気な顔をしつつも、その日からギターをいじるようになったんだ。学校でもギターを持ってる奴らがいたりして、イギリスではちょうど“スキッフル”が流行っていて、ロドニー・ドネガンが皆の憧れだった。俺の音楽キャリアの中で、最初に歌えるようになったがロニーの“Rock Island Line”という曲だった。」




<引用元・参考文献『ロッド・スチュワート自伝』ロッド・スチュワート (著)中川泉 (翻訳)/ サンクチュアリ出版>

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