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ポール・スタンレー少年時代①〜ベートーヴェンの衝撃、ロックロールの洗礼、初めて買ったレコード

2019.01.20

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1952年1月20日、彼はニューヨーク市内の病院で産声をあげた。
彼が最初に暮らしたのは、マンハッタンの北のはずれ、西211丁目とブロードウェイが交差する辺りにあったアパートだった。

「俺は小耳症と呼ばれる形成不全を伴って生まれてきた。外耳の軟骨の部分がきちんと形成されておらず、耳のあるべき場所に潰れたようになった軟骨部分だけがあるような状態だった。俺の場合は外耳道が閉塞してて、右耳の聴力がなかった。だから俺は子供の頃、音が人の声がどちらの方向から聞こえているのかがわからなくて、会話も上手くいかず…本能的に人と交わる状況を避けるようになっていたんだ。」


彼が幼い頃、父親はオフィス家具のセールスマンをしていたという。
母親は看護師や、特別支援学校の教師の助手などをして家計を支えていた。
母方の一族は、ナチスの台頭に伴ってベルリンからアムステルダムに逃げてきたユダヤ系の家系だった。
父親の両親もまた、ポーランドからニューヨークへ移ってきた移民だった。

「俺の両親はお互いに対してなんらいい影響を与えてなかった。父親が激しく怒鳴り、数日間は母親が口をきかなくなる。そんな光景が日常だったよ。だから、家の中に温もりを感じることはあまりなかったんだ。」


彼は家の中でも外でも、一人ぼっちでいることが多かったという。
心のよりどころもなく、言葉にできない不安を抱きながら毎日を過ごしていた。
ある日彼は、どんなに辛くても希望を持てる “避難所”を発見した。
彼を救ったもの…それは音楽だった。

「音楽は、両親が俺に与えてくれた素晴らしい贈り物だった。そのことに関しては、二人に対して永遠に感謝し続けるだろう。初めてベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番(皇帝)を聴いた時のことは絶対に忘れない。5歳だった俺は凄い衝撃を受けたのさ!」



彼の両親は、文化や芸術を生活の一部として捉えていた。
特にクラシック音楽を愛していた。
居間にはラジオ付きステレオがあって、スピーカーからは日常的にモーツァルト、シューマン、シベリウスなどの音楽が流れていた。
その中でも彼が一番夢中になったのがベートーヴェンだったという。
週末になると、母親と一緒にWQXRラジオの『LIVE FROM MET』という番組を聴くのが習慣だった。
そして、今度はラジオを通じて人生を変えるほどの出会いを経験していく。
8歳のときにクイーンズに移り住んだ頃から、彼はロックに心を奪われたのだ。

「エディ・コクラン、リトル・リチャード、ディオン&ザ・ベルモンツなどなど、彼らの音楽には純粋なマジックがあったんだ。彼らはティーンエイジャーの日々を称えるように歌い、俺はそういう日々を夢見るようになったんだ。シンプルで美しい青春にまつわる歌が、俺の琴線に触れたんだ。早く自分もティーンエイジャーになりたかったよ!」





「ある日の午後、俺は祖母と散歩に出かけたんだ。207丁目の橋を渡ってブロンクス地区に入り、フォーダム通りを目指す。橋の向こうにはレコード店があって、祖母が俺にとって初めて“自分で選んで買う”レコードをプレゼントしてくれたんだ。俺が選んだのはエヴァリー・ブラザースの“All I Have To Do Is Dream(夢を見るだけ)”の78回転SP盤シングルだった。」




<引用元・参考文献『ポール・スタンレー自伝 モンスター 仮面の告白』ポール・スタンレー(著)ティム・モア(著),増田勇一(監修)迫田はつみ(翻訳)/ シンコーミュージック>

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