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キャロル・キングの生い立ち〜3歳から触れたピアノ、相対音感という能力、ラジオから流れるヒット曲

2019.03.10

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1942年2月9日、彼女はニューヨークのブルックリンで生まれた。
両親共にユダヤ人の血を引く家系で、父は消防士、そして母教師をしていた。
彼らは生まれた娘にキャロル・ジョーン・クラインと名付けた。



「私が生まれたのは、あの日本軍による真珠湾奇襲攻撃から2ヶ月後。消防士の仕事は国内線戦であるため父が軍隊に入ることはなかったわ。父が毎日体を張って働いていたのを憶えている。両親は住宅ローンでブルックリンにテラスハウスを購入したばかりだった。家計を切り詰めて、食料や衣類、洗剤や歯磨き粉などすべてバーゲン品で賄う生活だったわ。」




クライン家に最初に置かれた家具はピアノだった。
母親は自分が幼い頃に親(キャロルの祖母)から強制されたピアノレッスンを心底嫌っていたが、大人になって近所の子供達に1レッスン50セントで教えるようになり、そのありがたさを知るようになった。
娘(キャロル)が、3歳くらいから音楽に貪欲なほどの関心を持つようになり、自分の知識をすべて与えようとした。



「私はつま先立ちでピアノの鍵盤に届くようになると、母にしつこく音の呼び方を尋ねるようになった。最初に母が教えてくれた音はD(レ)。中央のC(ド)の一音上だ。これを私は様々なリズムで何度も弾いていた。」




彼女はしだいに、音階を覚え、音名通りに歌えるだけでなく、音名を判別する力を身につけてゆく。
父親は“絶対音感”と“相対音感”の違いを理解しておらず、自分の娘が絶対音感を持っていると自慢げにふれ回っていた。
絶対音感とは、脳に記憶されている音と実際の音が常に一致すること。
歌えと言われれば、いつでも指定された音で正確に歌える能力である。
一方、相対音感は、一回聴いただけで完璧に音名を判断することはできないけれど、最初の音さえ音名がわかれば他の音も判別し正確に歌うことができること。



「私は相対音感で音を判別していたの。いずれにしても、音を言い当てる私の能力に父は感激し、友人に自慢するのを楽しみにしていたわ。」




5歳になった彼女は、ラジオに夢中になっていた。
当時、アメリカの家庭において、ラジオは家族を繋ぐ娯楽の中心になるだけでなく、豊かな言葉、音楽、物語の源だった。



「学校から帰ると私は宿題を済ませて、ラジオから流れる生演奏の音楽に耳を傾けていたわ。トニー・パスター楽団の“Dance With A Dolly (With A Hole In Her Stocking)”を歌うのが大好きだった。繰り返しタイトルのフレーズのリズムがキャッチーで、何度も何度も口ずさんでいたわ。」






1948年、彼女が6歳になると今度はテレビが普及し始める。
当時はまだ各家庭に一台というわけにはいかず、1ブロックに一家族が所有しているくらいのものだった。
クライン家は、近所に比べて特にお金があったわけでも先見の目があったわけでもないが、なぜかテレビを所有していた。



「幸いにも私はメディアの発達と共に成長していた。ラジオからテレビに取って代わったというよりも、テレビがラジオの不足部分を補って発達した時代。テレビはバラエティー、スポーツ、コメディードラマの分野に力を貸し、その一方でラジオはポピュラーミュージックの宝庫をなっていたわ。ヒットチャートで上位にランクインされた曲は、まるで穏やかな海面を高速艇が滑りだすように電波から発信され、全米中のリスナーに歓迎され共有されていった。」




1952年、10歳だった彼女にとって学校の勉強よりも興味があったのはヒット曲を追いかけることだった。
当時、ジョー・スタッフォードの「You Belong To Me」やミルス・ブラザーズの「Glow Worm」、ケイ・スターの「Wheel Of Fortune」などがラジオから流れていた時代…
それはアメリカの国民が人種差別に対して意識を高め始めた時代でもあった。





<引用元・参考文献『キャロル・キング自伝』キャロル・キング(著)松田ようこ(翻訳)/河出書房新社>

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