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マーヴィン・ゲイ少年時代を語る②〜十代の頃に憧れたアーティストたち、歌の原動力となったものとは?

2019.03.31

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学業を終えた彼は、空軍に入隊・除隊した後にコーラスグループ“マーキーズ”の一員として活動を開始する。
いくつかのグループを渡り歩くうちに実力をつけた彼(当時21歳)は、デトロイトで公演した際にモータウンレコードの創設者ベリー・ゴーディ・ジュニアにその才能を見出され、同レーベルでソロシンガーとしてのキャリアを踏み出すこととなる。

セックスと歌うこと。
青年期の彼にとって、この二つがもっとも刺激的なことだった。
性的な興奮と、歌うことによる気持ちの高揚は、しばしば一つに交わり、彼にとって精神的な力となった。



「歌うことは母を喜ばせることだったんだ。母は世俗的な音楽に対して父よりも寛容だった。いつも僕を勇気づけてくれたし、僕が歌手になること応援し認めてくれた。一方父は僕がやっていたドゥーワップやR&Bに対して“神を崇めない音楽は絶対に認めない”と断言していた。」




彼が青年期を過ごした1950年代はザ・ロビンズやザ・コースターズといったコミカルなグループが台頭し始める中、正統派コーラスグループとして人気を博していたザ・ドリフターズがシーンの中心にいた。



当時、彼の音楽的想像力を興奮させたのは、これらのグループの技術的な面だけではない。
それは、彼のソウル(魂)に触れる哀愁、物悲しさだった。
音楽における感情表現は、彼の情熱的、官能的なムードに繋がっていた。
理屈では説明できない、純粋なものに対する憧れ、汚れなき愛に対する渇望、男女の性別さえ超える愛を育むことへの気持ちが、彼の歌の原動力だった。
当時、彼に最も影響を与えたシンガーが4人いるという。
ルーディー・ウェスト、クライド・マクファーター、リトル・ウィリー・ジョン、そしてレイ・チャールズだ。



「ルーディーが歌うバラードは、実にピュアで、絹のような肌触りのスタイルを持っていて興奮したよ。マクファーターの声は、パワーと美しさを持っていて、本当に尊敬しているよ。リトル・ウィリー・ジョンは、あの曲“Fever“のオリジナルを録音した男だ。彼の声もシルキーでセクシーで危うさがあってとても気に入っていた。レイ・チャールズは僕たちに自身のルーツを思い起こさせてくれた。彼の声の中に見える汗と生々しいソウルが大好きなんだ。」




青年時代の彼は男性シンガーだけでなく、女性歌手からも大きな影響を受けたという。
ビリー・ホリデイは、彼の音楽人生を語る上で絶対に外せない人物だった。



「彼女の心の痛みが僕にも伝わってきたんだ。彼女は愛という名の下にすべてをさらけ出したシンガーだった。彼女が内に秘めていた傷は人間すべての傷だ。アルバム“Lady In Satin”を聴いたとき、涙が頬を伝わったことを憶えているよ。ジャズのホーン奏者のようにフレーズを歌う彼女に痺れた。十代の頃にはジャズもよく聴いたよ。マイルスの“It Never Entered My Mind”を聴いたときには本当にヤラレた。マイルスのトランペットはシンガーのように泣く。そしてビリーは管楽器のように歌う。彼らがやっていることはすべてブルースに包まれているんだ。」








<引用元・参考文献『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』デイヴィッド・リッツ(著)吉岡正晴(翻訳)/スペースシャワーネットワーク>
<引用元web『マーヴィン・ゲイの栄光と影』西田美穂(著)>

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