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マイルス・デイヴィスの少年時代〜夢中になったラジオ放送、10歳でプレゼントされた中古のトランペット

2019.05.12

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1926年5月26日、彼はミシシッピ川のほとりにあるイリノイ州マディソン郡のオールトンという町で生まれた。
一家は翌年にイーストセントルイスへと引っ越しをしている。
兄弟は姉のドロシーと弟のヴァーノンの二人で、とても仲の良い3人兄弟だったという。
彼の祖父はアーカンソー州に広い農園を持ち、父親は歯科医をしながらジャズやブルースの音楽家だった。
母親は音楽の教師をしており、彼は当時の黒人家庭としてはかなり裕福な環境で育った。

「祖父と父親がよく言っていたよ。デイヴィス家はいつも進んでいたと。大農園の主人だったから芸術家、実業家、専門家、それにクラシックを学んだ音楽家までいて皆素晴らしい家族だったと。奴隷制度がなくなると黒人は安酒場でしか演奏ができなくなってしまったから、祖父は音楽家ら離れていった。当時は黒人がクラシックを演奏するなんて絶対に許されなかった時代。黒人に残された音楽は、ブルースと黒人霊歌だけだった。」


少年時代の彼は、野球(守備はショート)、フットボール、バスケットボール、水泳、ボクシングと、いわゆる典型的なスポーツ少年だった。
7歳から8歳になる頃、彼は『ハーレム・リズムズ』という、朝8時45分から放送されていたラジオの音楽番組に耳をかたむけるようになる。
音楽に熱中するあまり、当時は遅刻しないように学校へ行くのが大変だったという。

「もう毎朝その番組を聴かずにはいられなかった。番組の名前から想像がつく通り、流れるのはたいていが黒人音楽だった。ルイ・アームストロング、ベッシー・スミス、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、ジミー・ランスフォード、ライオネル・ハンプトンなどなど、たくさんのバンドの演奏を聴いて興奮していたのを憶えている。」




ほぼ時を同じくして、彼の運命を決定づける出来事がおこる。
9歳から10歳になる頃、父親の友人であったジョン・ユーバンクスという医師から、中古のトランペットをプレゼントされる。
そして彼は、家族のすすめもあって音楽(トランペット)の個人レッスンを受けはじめるようになる。

「父親の影響やラジオのおかげで、俺の体にはすでにブルースや教会音楽など、南部と中西部のサウンドとリズムが染みついていた。音楽の勉強をし始めた時には、どんなサウンドが良いか?俺はもう知っていたような気がする。」


そして1939年5月26日、父親は彼の13歳の誕生日に新しいトランペットを贈る。
当時、通っていた学校で自分の楽器を持っていたのは彼一人だけだった。
他の生徒は、教員や学校所有の楽器を借りて練習をしていたという。
高校在学中の15歳の時に、彼は早くもユニオンカード(劇場・飲食店での営業演奏を許可する証明書)を手に入れ、セントルイスのクラブに出演するようになる。
当時のセントルイスにはアフリカ系アメリカ人の労働者の居住区が多く、ジャズライブが定期的に行われていた。
そのため彼は様々なジャズメン達のプレイを見て演奏を学んでいくこととなる…

「音楽に興味を持ち始めたら徹底的に取り組んで、他のことをやる時間がなくなってしまった。音楽は俺のすべてになったんだ。本当に、すべてになってしまったんだ。」


<引用元・参考文献『マイルス・デイヴィス自伝』マイルス・デイヴィス(著)クインシー・トゥループ(著)中山康樹(翻訳)/シンコーミュージック>


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