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ボブ・ディランの少年時代〜耳を傾けた列車の音、ラジオで聴いた音楽、ひたすら読み漁った本

2019.05.19

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1941年5月24日、彼はミネソタ州の北東部に位置する街ダルースで生まれる。
出生名はロバート・アレン・ジマーマン。
祖父母はロシアのオデッサ(現ウクライナ)やリトアニアからの移民であり、父エイブラハム・ジマーマンと母ビアトリス・ストーンはアシュケナジム(東欧系)ユダヤ人だった。
彼が6歳になる頃、弟のデイヴィッドを含む一家はメサビ鉄山の鉱山町ヒビングに引っ越しをする。

「ヨーロッパでは第二次世界大戦が激化しており、アメリカも参戦しだした時代に私は生まれた。世界は分裂し、新しく生まれたきた者すべて顔に混沌が拳をくらわせた。」


1951年、10歳になった彼は学校に入学した。
当時学校では、ロシアの爆弾が落ちてくることを想定して、空襲警報が鳴ったら机の下に隠れる訓練が行われていたという。

「その脅威は恐ろしかった、アメリカがロシア人をそこまで怒らせる何をしたのか?私たちにはわからなかった。血に飢えたアカ(共産主義者)がそこいらじゅうにいると、私たちは教えられた。」


彼は子供の頃によく通過する列車を眺めながら、その音を聞いていたという。
大きな有蓋貨車、鉄鉱石運搬車、貨物車、客車、寝台車。
彼が育った町では、どこへ行くにも踏切で止まって長い列車が通り過ぎるのを待たなくてはならなかった。
線路は田舎道と交差していたり、道路に沿って続いていた。

「遠い列車の音を聞いていると、心が落ち着いた。」


♪Lonesome Whistle(淋しき汽笛)


音楽に興味を持ち始めた彼にとって初めてのアイドルとなったのは、カントリーミュージックの大御所ハンク・ウィリアムズだった。
彼は家にあったピアノを独習し、頻繁にラジオを聴いていた。
列車の音と同じように、ラジオ放送は彼の生活のサウンドトラックだった。

「ある日ダイヤルを回していると、小さなスピーカーからロイ・オービソンの声が飛び出してきた。新曲の“Running Scared”が部屋に響き渡った。この頃私はフォークに関連のある曲をたくさん聴いていたが、ロイ・オービソンは、フォーク、カントリー、ロックンロールなどあらゆるジャンルを超越していた。さまざまなスタイルを混ぜ合わせていた。時に聴こえるか聴こえないかくらいの低い声で歌い、時にフランキー・ヴァリなみのファルセットで歌う。彼にかかるとマリアッチを聴いているのか?オペラを聴いているのか?わからなくなる。彼にとって歌は血と脂肪、すなわち神への捧げ物だった。」



ラジオをつけるかレコードを聴く以外の時間は彼は静かな部屋でひたすら本を読んで過ごしていたという。
ドストエフスキー、トルストイ、“SFの父”と言われたイギリスの作家H・G・ウェルズ、神秘的なアフリカについて書いたエドガー・ライス・バロウズ、西部の伝説を書いたルーク・ショート、急進的な共和党議員だったサディアス・ステーヴンズなどなど、彼は毎日考古学者のようにあらゆるジャンルの本を読み漁っていた。

「本は私にとって本当に凄いものだった。ページを音読することもあり、私は言葉の響きが好きだった。」


彼のハイスクール時代にはロカビリーが全盛期を迎える。
エルヴィス・プレスリーらに憧れてバンドを組み、演奏活動を始めた彼の卒業アルバムには「リトル・リチャードと共演することが夢だ」と記されていた…

<引用元・参考文献『ボブ・ディラン自伝』ボブ・ディラン(著)菅野ヘッケル(翻訳)/ SBクリエイティブ>

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