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ダイアナ・ロスの少女時代〜母親が口ずさんでいたゴスペルソング、15歳で結成したガールズグループ

2019.06.23

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1944年3月26日、彼女はミシガン州のデトロイトの街で生まれた。
セント・アントワーン通り5736番地にある集合住宅の23号室。
彼女は幼い頃に過ごしたその場所に関してこんな風に語っている。

「私の住む世界の広さは家の近所の2ブロックだった。そこには運動場をはじめ、裏庭、玄関ポーチ、フェンス、路地があった。木はなかったわ。たくさんの世帯が住む大きな団地だったの。我が家のある3階まで、それだけ速く登れるか、6人の兄弟たちと階段をとばしながら駆け登っていたのを憶えている。」


父親は自動車関連の下請け工場で働き、母親は裕福な白人家庭でメイドとして働いていた。
初めて父親の顔を見たのは2歳の時だったという。
彼女の父親は第二次世界大戦の最中、兵隊となって戦地におもむいていた。

「父は背が高くて頭が良くてプライドも高く、自信家でお洒落で他人に対して丁寧に接する人だったわ。人目を引く容姿だったけど、感情を表に出さずに口数の少ない静かな性格だった。」


彼女の父親は仕事熱心だった。
決して裕福とは言えない家計を必死で働いて支えていた。
ある時期は工場での仕事に加え、ガソリンスタンド、郵便局、水道管メーカーでの仕事もして稼いでいたという。
そんな忙しくて無口で子供達にとっては少し近寄りがたかった父親と反対に、彼女の母親は愛情表現が豊かな優しい女性だった。

「母は私にとってヒロインだったわ。優しくて柔和で、誰に対しても心のこもった接し方をする人だった。」


彼女の家族は皆音楽が好きだった。
狭い居間にはラジオとレコードプレイヤーが置いてあり、常にどちらかのスピーカーから音楽が流れていた。
母親はいつも歌を口ずさんでいた。
父親もそれに合わせて口笛を吹いていたという。

「母は“His eye is on the sparrow”というとても感動的なゴズペルソングをよく歌っていたわ。とても優しくて、そして悲しみをも宿す鳥肌が立つような歌声だったわ。いつしかその歌は私にとって大きな意味を持つ曲になった。神が自分の創造物をいかに大切にするか?もっとも小さな命でさえ如何に大事に守るかを歌った内容だったわ。」



なぜに打ちひしがれた気持ちになるのか
なぜいくつもの影が訪れるのか
なぜこの心はこれほど孤独で天国と我が家を求めるのか


十代になった彼女は、昼は学校でデザインを学び、夜はレストランでバイト、そしてその稼ぎで週末にはモデル養成学校と美容教室に通う多忙な生活を送っていた。
学校の水泳部、陸上部でも活躍し、教会の聖歌隊でも一目を置かれる存在だったという。
ある日、近所に住むフローレンス・バラードとメリー・ウィルソンとベティ・マグロウンが彼女(当時15歳)にある誘いを持ちかける。
それは、その当時ニューヨークを中心に人気が出てきたガールズグループを結成しようという誘いだった。

「私たち4人でスターにならない?名前は“ザ・プライメッツ”よ!」


さっそく彼女たちは男性コーラスグループのプライムズと共に、デトロイトのナイトクラブなどに出演するようになる。
地元の小さなレコード会社からシングルも出して自信をつけた彼女たちは、その頃デトロイトで話題になりつつあった黒人経営者による新しいレコード会社『USAレコードヒッツヴィル』へ自分たちを売り込みに行く。
この会社こそが彼女がザ・スプリームスとして契約を交わし、後に大きな成功を遂げるモータウンレコードの前身だったのだ…

<引用元・参考文献『ダイアナロス自伝』ダイアナ・ロス(著)板倉克子(翻訳)/音楽之友社>

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