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スティングの少年時代〜造船の街で育った貧しい日々、唯一の逃げ場だった音楽

2019.06.30

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1951年10月2日、彼はイギリス北東部にあるウォールセンドという街で生まれた。
出生名はゴードン・マシュー・トーマス・サムナー。
四人兄弟の長男だった。
幼い頃から一人で本を読んだりピアノをおもちゃ代わりにして遊ぶのが好きだったという。

「よく床に座りこんで、ピアノを弾く母の足がペダルを踏むのを飽きることなく眺めていたのを憶えているよ。」


彼が少年時代を過ごした街は、北イングランドを流れるタイン川沿いにあり、第二次世界大戦中に造船と炭鉱で栄えた地域だった。
しかし、戦争が終わると共に街の繁栄は下降の一途を辿ってゆく。
一家が住んでいたウォールセンドには、造船にたずさわる労働者たちの家が数多く立ち並んでいたという。

「小さなレンガ造りの家だった。造船所で働く男たちを見て育ったんだ。父は牛乳配達の仕事をしていた。決して裕福とは言えなかったよ。家の中では家計をめぐっていつも喧嘩が絶えなかった。」


彼は早朝から父親の仕事を手伝って牛乳を配達していたという。
十代の頃、そんな貧しい環境から逃げ出すことばかりを考えていた彼は、陸上競技で走ることに没頭してゆく。
めきめきと記録を伸ばし、全国大会で3位になるほどまでになった彼は、時を同じくしてギターを弾くことを覚える。
また、学校の成績も優秀だった彼は、地元にあったニューカッスルのカトリック系男子校セント・キャスバート・グラマー・スクールに進学する。
しかし、制服に身をつつんだ裕福な家庭の少年たちが通う学校には、どうして馴染むことができなかった。

「学校に通うことも嫌になっていた僕にとって音楽はたった一つの逃げ場だった。最初に夢中になったのはボブ・ディランだったよ。歌詞がよかった。次から次へとイメージが湧いてきたんだ。ギターで何曲も練習したものさ。“When the Ship Comes In(船が入ってくるとき)”なんか完全にマスターしていたよ。」



ある日、心に大きな傷を受けてしまう。
母親が父親の雇う従業員の1人と浮気している現場を目撃したのだ。
大きなショックを受けた彼は、現実から逃避するためますます音楽にのめり込むようになる。
音楽は辛い状況から逃げ出す唯一の手段だった。

「故郷の街に自分が根をおろせる場所はないと思っていたよ。いつかこの街を出て行こうと。14歳で走ることをピタリとやめた。そして僕の関心は音楽へと向かって行ったんだ。音楽のおかげで正気でいられたんだ。」


ボブ・ディランに始まり、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックスなどから大きな影響を受け、さらにはルイ・アームストロングなどジャズの巨匠たちの音楽を熱心に研究するようになる。
そして学校を卒業した彼は、自分が将来何をして生きていくか?自問自答した。
街を離れたいという気持ちには変わりはなかったが…何をどうすればいいのかわからなかった。

「その頃、興味を持ってやっていけそうだと思ったのがベースだった。毎日がむしゃらに練習したよ。まるで見習いの修行でもしているかのように。ひたすら自分のためだと信じて、努力を惜しまなかった。飲まなきゃいけない薬を飲んでいるような気分だったよ。」


そして、ついにその努力が報われる時がやってきたのだ。
地元のジャズバンドでベーシストとして演奏させてもらえるチャンスを掴んだ彼は、その日のライブをきっかけに“ゴードン”という本名を捨てることとなった。
そのバンドのメンバーは皆ニックネームで呼びあっていた。
彼が当時いつも黄色と黒のボーダーのトレーナーを着ていたことから、バンドのトロンボーン奏者があだ名をつけたのだ。

「君に蜂を連想させるピッタリの名前を思いついたよ!スティングだ!」


その日から彼は新しい名前を名乗るようになった…


<引用元・参考文献「伝記 世界の作曲家 スティング」マーシャ・ブロンソン(著)松村佐知子(翻訳)/偕成社>

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