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ジョージ・ハリスンの少年時代〜1日8時間も猛練習したギターへの情熱、通学バスの中で出会ったポール

2019.07.21

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1943年2月24日、リバプールの郊外にあるウェイヴァートリー区アーノルド・グローヴ12番街で彼は誕生した。
<※生年月日は1943年2月25日だと公表されていて誕生祝も25日に行っていたが、1992年に「実際には1943年2月24日生まれだった」と本人が告白している>
4人姉弟の末っ子として生まれた彼に、両親は時の国王ジョージ6世にあやかって「ジョージ」と命名した。
父親のハロルドはウェールズ系でバス運転手しており、母親のルイーズはアイルランド系の敬虔なカトリック教徒だった。
労働者階級の家庭で、決して豊かな生活ではなかったという。
彼が6歳になった時、一家はアプトン・グリーン25番地に引っ越すこととなる。
リヴァプール公営住宅の入居待機者リストでようやく順番が回ってきたからである。

「音楽は好きだったよ。ずいぶん幼い頃、居間にあった小さな革張りの椅子の上に立って“One Meatball”を歌っていたのを覚えている。それから“Hong Kong Blues”は本格的なブルース調の曲の中で、もっとも早く覚えたものの一つだった。」





彼はペニー・レインの側にあるダヴデイル・ロード小学校を卒業し、リヴァプール・インスティチュートに進学した。
彼は当時からもの静かで、級友からは「独りぼっちで隅に座っているようなヤツ」と言われていた。
兄の影響もあり、彼はこの頃からロックンロールに熱を上げ始める。
スキッフルバンドを結成しようとして、初めて手にした楽器はギターではなく洗濯板だった。
しかし、しばらくすると兄のようにギターを演奏したいという気持ちが強まり、13歳の時に同じ学校の生徒から中古ギターを購入した。
その日から彼はギターの猛練習に明け暮れたという。
ある日、母親にお金を援助してもらい、初めてのエレキギターを手にする。
エレキギターを手にした彼は、念願のスキッフルバンド“Rebels(反逆者たちの意)”を結成。
初めてライヴのステージに立った日、ブッキングされていた他のバンドが不運にもみんな出演をキャンセルしたので、Rebelsは少ないレパートリーを繰り返し演奏したりして乗り切ったというエピソードが残っている。

「いつもギターに触っていたい!」


音楽への情熱を満たすため、彼は毎日8時間以上、夜通しギターの練習をすることもあったという。
そんな日々を送る中、当時、彼は毎日バス通学で1時間もかけて学校に通っていた。
ポール・マッカートニーと出会ったのはそのバスの中だった。
ポールは同じ学校の一年先輩で、同じ制服を着て、毎朝同じ方向に向かっていた。
お互い音楽が好きだったということもあり、二人はすぐに仲良くなりポールは自分が当時参加していたジョン・レノン率いるバンド“クオリーメン”のメンバーに彼を推薦し加入させた。
バス2階で行われた即席オーディションで、彼は当時高難度と言われていたギターインストゥルメンタル曲”Raunchy(1957年/ビル・ジャスティス作曲)”を完璧に弾いてみせたという。
ジョンはジョージを加入させた理由をこんな風に語っている。

「ジョージは俺より多くのコードを知っていたからね!」




<参考文献『ジョージ・ハリスン自伝』著:ジョージ・ハリスン/訳:山川真理(河出書房新社)>



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