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ジョー・ストラマーの少年時代〜幼少期の音楽体験、人生を変えたローリング・ストーンズの一曲

2019.08.04

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1952年8月21日、彼はトルコ共和国の首都アンカラで生まれる。
外交官の父と看護師の母の間に生まれた兄弟の次男として誕生した彼には、ジョン・グレアム・メラーという名前が付けられた。
幼い頃、近所のトルコ人の乳母に助けられて育った彼が最初に口にしたのは、トルコ語と英語が混ざった言葉だったという。

「物心ついて残っている一番古い記憶は、兄貴が乳母車に身を乗り出してダイジェスティヴビスケットをくれたことだ。」


父親の転勤に伴い、エジプト、メキシコ、ドイツと、様々な国の文化に触れながら少年時代を過ごすこととなる。
一家が西ドイツの首都だったボンに移り住んだのは1957年が終わろうとする頃だった。

「ドイツは怖いところだったよ。戦後まだ10年しか経ってなかったし、若い連中はまだドイツ軍として戦っているつもりだった。ボンでは外国の大使館員が集まる土地に住んで居たんだ。子供達の間では“外国人はドイツ人に殴られるぞ!”という噂が流れ、いつも恐れながら過ごしていたよ。下手すりゃ早死にさ。」


1959年(当時7歳)に、彼の父親はイギリスのロンドン南部にあるクロイドンという小さな街に家を購入する。
スイスの山小屋にも似た小ぶりのバンガローハウスに引っ越すと、彼はすぐに地元サリー州立の小学校に通うこととなる。
当時、彼の家にはテレビもなかったが、ある日ラジオ付きのレコードプレイヤーがやってくる。
それは後にザ・クラッシュの代表曲「London Calling」のシングル盤のジャケットに描かれているものと同じタイプのプレイヤーだったという。



「両親は音楽にまったく関心がなかったね。フランスの劇場でやっているカンカンのレコードや、“オクラホマ!”みたいなミュージカルの曲とかを持ってるくらいだった。」




当時彼はラジオから流れる音楽に興味を示すようになる。
彼が楽しみにしていたのは、毎週土曜の朝9時からBBCで放送されていた『チルドレンズ・フェイヴァリッツ』という番組だった。

「テネシー・アーニー・フォードの“Sixteen Tons”なんかが流れていたのを憶えているよ。」



1961年の9月、両親は息子たちをCLFS(シティ・オブ・ロンドン・フリーメンズ・スクール)に転入させる。
そこは1854年に孤児院として設立された歴史ある学校で、生徒たちが寮生活を送りながら学ぶ学校だった。

「当時まだ9歳だった俺は、親に見捨てられたと思ったよ。だけど両親にしてみれば、海外赴任で遅れがちだった子供たちの教育をなんとか穴埋めするためのことだったらしい。」


親元とは離れた兄弟は、CLFSの校章をつけた紺色のブレザーに赤と青のストライプのネクタイを結び、きれいに刈り込んだ頭に制帽をかぶり、心機一転ロンドンでの寮生活をスタートさせた。

「そこはヴィクトリア朝時代みたいな変な学校だったよ。地下室みたいな廊下には100メートルごとに電球が1個しかなくて、上級生たちが木製のハンガーで俺たちの頭を小突きにくるんだ。便所で殴られたり、パシリをさせられたり、最初はとにかく理不尽なことを強いられていたよ。」


厳しい寮生活にようやく慣れてきた頃、彼は学校のクリスマスの出し物で当時ビートルズの最新ヒット曲だった「Twist And Shout」のメロディーで「In The Bleak Midwinter」を歌ったという。




10歳を過ぎた彼は、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、ウッディ・ガスリーなどを聴き込むようになり、しだいに音楽の虜になってゆく。

「新聞や道徳書などを読むための寮生専用のサロンがあったんだけど、なぜかそこにレコードプレイヤーと真空管のラジオが置いてあった。俺たちは目一杯活用したよ。」


彼はあるインタヴューで“人生を変えた一曲”としてストーンズの「Not Fade Away」を挙げている。

「寮のラジオからあの曲が流れてきたのを憶えている。“これは今まで聴いてきたものと何か違う”って感じた。自由への道を歌っているように聴こえたんだ。その瞬間から俺はこの先ずっと音楽を追いかけて行こうって決めたんだ。」



1965年の夏、13歳になった彼は兄と共に当時両親が住んでいたイランの首都テヘランを訪ねる。
彼はそこでたまたま聴いたチャック・ベリーの音楽に衝撃を受けたという。

「ビートルズの最新アルバム(Beatles for Sale)にも収録されていた楽曲“Rock and Roll Music”を俺はオリジナルだと勘違いしていたんだ。そのあとストーンズもチャック・ベリーに影響を受けていることを知り、ますます興味を抱いたんだ。そのうち俺はボ・ディドリーの存在も知り、アメリカの黒人音楽(R&B)にのめり込んでいった。」



<引用元・参考文献『リデンプション・ソング ジョー・ストラマーの生涯』クリス・セールウィクズ(著)大田黒奉之(翻訳)/シンコーミュージック・エンタテイメント>




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