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ビートルズに次いでBBCの『ジューク・ボックス・ジュリー』に登場したローリング・ストーンズ

2016.05.27

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1963年6月に「カム・オン」でデビューしたローリング・ストーンズは、まもなく音楽業界でビートルズの対抗馬という位置で売りだされていく。
待望のファースト・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』が64年4月16日に発売になると、翌週には早くもアルバム・チャート1位を獲得し、期待に応える結果を出した。

それまではビートルズ『プリーズ・プリーズ・ミー』と『ウィズ・ザ・ビートルズ』という、2枚のアルバムで1年以上にわたってアルバム・チャートのトップに君臨していた。
それに代わってローリング・ストーンズが5月から7月にかけて、首位をキープしたのである。
ローリング・ストーンズはここから、ビートルズのライバルと見なされるようになった。

ローリング・ストーンズ1st

アメリカのシカゴにあるチェス・レコードで録音した最新シングル、「イッツ・オール・オーバー・ナウ(It’s All Over Now)」が発売されたのは7月3日のことだ。
BBCの音楽番組『ジューク・ボックス・ジュリー』にプロモーションのため特別出演することは、早くから音楽ファンの間では話題になっていた。
ビートルズに並ぶほどの勢いのあるストーンズとはどんな連中なのかと、多くの若者たちが固唾をのんでテレビ出演を待ち構えていた。

メンバー全員が『ジューク・ボックス・ジュリー』に出演するのは、半年前のビートルズと同じ特別待遇だった。
いつもなら4人の審査員席が5人になるため、BBCはセットを変更するほど力を入れていた。

登場したメンバーの真ん中に座ったのは黒っぽいスーツに白のシャツ、リーダー格だったブライアン・ジョーンズだ。
そして上手にはチャーリー・ワッツと一人だけシャツ姿のミック・ジャガー、下手にはキース・リチャーズとビル・ワイマンが並んだ。

次々に聴かされる新曲に対して5人は真剣に応対していたが、その結果、ほとんど全ての曲に対してヒットしないと答えた。
「駄目だし」された形になった楽曲の中には大御所、エルヴィス・プレスリーの新曲もあった。

テレビ慣れしていないストーンズは余裕がなく、愛想よい振る舞いなど出来ず、気の利いたジョークも口にしなかった。
サービス精神のないストーンズに対して、あちこちから非難の声も上がった。

だが「イッツ・オール・オーバー・ナウ」は番組に出演した翌週のチャートで25位から2位まで急上昇、次の週にはシングルでは初めて1位の座についた。


『ジュークボックス・ジュリー』についてキース・リチャーズはその後のインタビューで、「まぁ大成功とは言えない。あちこちから袋叩きだよ」と答えている。

テレビに映っていることを意識しながら並んで座っていて、しかもこっちは5人だから、曲についてコメントできる時間は1人数秒ずつしかない。
それで結局誰もうまく話せなかった。それは事実。
でもあの日の番組で掛かってた曲はどうだった? 
どうでもいい曲ばかり! 
誤解しないでほしいのは、曲が悪いと言ってるんじゃない。
ただ何も言うことがないんだ。
あまりいい印象ではなかったと思う。
でも正直言って、もう一回やっても多分同じ結果になったと思う。
あの番組はそういう仕組みなんだ。
ストーンズには合わない。
でも『ジュークボックス』についてひとつだけ言いたいのは、この番組の助けもあって俺たちはナンバーワンになれたこと。


キースはシングルとアルバム両方のチャートでトップになったことに関して、「良い気分だけど、それだけを目指しているわけじゃない」とも語っていた。
そしてR&Bをカヴァーしてレパートリーにしていることについて、「黒人の真似だとかいろいろ言う人がいるけど上等だね」と自信を覗かせている。

今のR&Bの場合、最初イギリス人のコピーを聴いているリスナーがふとチャートを見ると、そこにはハウリン・ウルフ、チャック・ベリー、ボ・ディドリー、トミー・タッカーみたいなアメリカの大御所がずらりと並んでいる。
俺はこれがいいと思うんだ。
もし俺たちの音楽が、リスナーがアメリカの偉大なミュージシャンに興味を持つきっかけになるのなら、俺たちもR&Bに貢献できているってことだ。


熱心なR&Bファンから出発してコピーから始めたキースには、その頃から表現者としての自覚が生まれていた。
キースは既存の音楽業界の常識などにとらわれず、自分たちの信じる音楽にだけ向き合うようになっていく。

次のシングル「リトル・レッド・ルースター」もまた、ハウリン・ウルフのカヴァー曲だったが1位を獲得した。

それに続いて最初のオリジナル曲「ザ・ラスト・タイム」 (1965 ) をシングルで発表すると、「サティスファクション」 (1965)「一人ぼっちの世界」 (1965 ) 「19回目の神経衰弱」 (1966 ) 「黒くぬれ!」 (1966) と、5曲連続でナンバーワン・ヒットを生み出した。

キースはそれからソングライティングとサウンドのプロデュースを、50年以上も休むことなく続けている。



〈参照コラム〉ビートルズが『ジューク・ボックス・ジュリー』で「HIT」のカードを上げた曲「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」

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