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なぜアメリカの黒人霊歌「スウィング・ロー・スウィート・チャリオット」がラグビー・イングランド代表の応援歌になったのか

2019.10.31

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1960年10月31日。
エルヴィス・プレスリーが1曲のゴスペルをレコーディングした記録が残っている。20世紀初頭、フィスク大学のジュビリー・ボーイズが歌い出したのが最初とも言われる「スウィング・ロー・スウィート・チャリオット」である。



多くのシンガーたちに愛され、ジョニー・キャッシュ、エリック・クラプトンなどがレコーディングしてきたこの曲がこのところ、数多く検索されるようになった。
そう、ラグビー・ワールドカップでイングランド代表のファンが応援歌として歌っていたからである。

フランス代表のファンが「ル・マルセイユ」を歌うのは納得がいく。でも、どうして、イングランド代表のファンは、アメリカで生まれた黒人霊歌を、自国の代表の応援ソングとして歌っているのだろうか。誰もが、首を傾げるはずである。


ゆっくり揺れる
スイート・チャリオット
天の故郷に帰るため
俺を迎えにやってくる


チャリオット、とは古代の戦争で使われた馬車のことである。旧約聖書の預言者エリヤが、火の馬がひく、火の戦車に乗り、天に昇っていくシーンをモチーフに書かれた歌だと言われている。

この歌が歌われるきっかけが作られたのは、1988年のトゥイッケナム・スタジアムである。ロンドン郊外のこの町には、イングランド・ラグビー協会が所有するラグビー競技場がある。ウェンブリー・スタジアムがサッカーの聖地なら、ここはラグビーの聖地なのである。
1988年。当時のイングランド代表は、低迷期にあった。ファイブ・ネイションズの試合でも、2年間、このラグビーの聖地で奪ったトライは、1つだけだった。

その日は、対アイルランド戦。守備陣はよく頑張っていたが、前半を終わって、0対3であった。
そこに登場したのが、この日、イングランド代表として初めてこのグラウンドに立った黒人選手クリス・オッティだった。彼のハットトリックの活躍もあり、イングランドはこの試合を、35対3という大差で勝利することになる。

「スウィング・ロー~」が歌われ始めたのは、クリスが最初のトライを奪った時だった。教会学校の生徒たちが歌い始めたのである。クリスが2つ目のトライをあげると、そのコーラスの輪は広がり、ハットトリックを決めた頃には、スタジアム全体が歌っていた、というのである。

「スウィング・ロー~」がイングランド代表の応援歌となった瞬間である。






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