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恋人を強く抱き締められなかった夜

2015.10.20

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♪ 街の暗闇と
  煌々たる灯りに満ちた家々の狭間で
  我が心の静けさと
  忍び寄る夜の咆哮の狭間で
  誰かが誰かの名を呼び
  誰かが街角から姿を消し
  誰かが誰かを探すのだ
  この夜のどこかで ♪


1970年代のもっとも完成された作詞家とも言われるジャクソン・ブラウンが、1983年に発表したアルバム『愛の使者』に収められている「テンダー・イズ・ザ・ナイト」は、そんな歌詞で始まる。
彷徨い続ける魂。それは、ジャクソン・ブラウンにいつも付きまとうイメージだ。彼のそんなイメージを決定づけたのはおそらく、あの出来事だろう。
1976年、彼の最高傑作とされるアルバム『レイト・フォー・ザ・スカイ』に続く新作『プリテンダー』をレコーディングしている時のことだ。
妻、フィリスから連絡が入る。

「私、自殺する。。。」

またか、とジャクソンは思ったのだろう。
コンサート・ツアー、レコーディングと、彼は忙しい日々を過ごしていた。だが、フィリスはジャクソンに愛を求めた。そして、それ以前にも、狂言自殺をしたことがあった。
今回もまた。。。それはフィリスも同じ思いだったのかも知れない。だが、フィリスが服用した薬の量は、彼女を違う世界へと連れ去ることとなる。
そしてジャクソン・ブラウンは、妻を強く抱き締められなかった男となった。

♪ 夜はやさし
  恋人を強く抱き締めるとき
  その仕草はやさし
  夜はやさし ♪


ジャクソンがそう歌う時、聴く者が絶望的な思いにさせられるのは、ジャクソンの歌の主人公が空虚を抱き締めているように感じてしまうからだ。

ところで、「テンダー・イズ・ザ・ナイト(夜はやさし)」というタイトルで小説を書いた作家がいた。
1896年に生まれ、1920年代、ジャズ・エイジの寵児ともてはやされたF・スコット・フィッツジェラルドである。
「華麗なるギャツビー」を大ヒットさせ、絶世の美女ゼルダを妻としたフィッツジェラルドだが、狂乱のバブルが弾け、1930年代に入ると、不幸の溝にはまり込む。ゼルダは精神的に病み、父はこの世を去るのだ。
そんなフィッツジェラルドがひとり、心血を注いで書き上げた長編小説のタイトルが「夜はやさし(テンダー・イズ・ザ・ナイト)」である。

フィッツジェラルドは敬愛する英国詩人ジョン・キーツの代表作の一節から、このタイトルをつけている。

 すでにして汝とともに! 夜はやさし
 されどここに光なし


これは、ジョン・キーツの「ナイチンゲールに寄す」という詩だ。

この詩の冒頭部分が持つ悲しさが、キーツとフィッツジェラルドとジャクソン・ブラウンを結んでいる。

我が心は痛み 感覚はおぼろげに痺れゆく
毒人参を煽ったように
いくばくかの阿片を飲み干し
忘却の川に沈んでいくように


だが、ジャクソン・ブラウンにこの歌を書かせたのは、ギタリスト、ダニー・コーチマーとドラマー、ラス・カンケルのふたりだった。
ある日、彼らはアパートの部屋でアイディア出しをしていた。
そして、ドゥ・ワップによく登場する歌詞である
「when you hold your baby tight」(恋人を強く抱き締めるとき)と
「tender is the night」(夜はやさし)が、不思議な韻を踏むことに気づいたのである。

「聖なる世界と世俗的世界の両極端っていうのかな。面白いと思ったんだ」とダニー・コーチマーは語っている。
「そして、ジャクソンならきっと素晴らしい曲に仕上げてくれるってね」

そして19世紀の詩人と20世紀の小説家のロマンティシズムは、ポップスという形に昇華されることとなったのである。



Jackson Browne『Lawyers in Love』
Elektra / Wea

(このコラムは2015年1月8日に公開されたものです)

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