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ポップスが「禅」と出会う時

2015.10.22

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♪ 庭の門の錠前のところにいるのはカタツムリ
  そう、そいつなんだ
  庭の門の錠前のところにいるのはカタツムリ
  そう、そいつなんだ
  まず、山があり、山はなくなり
  そして、また山はあるのさ
  まず、山があり、山はなくなり
  そして、また山はあるのさ        ♪


スコットランド生まれのドノヴァンが「霧のマウンテン」を発表したのは1967年。ビートルズが傑作アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を完成させた年だ。
彼はビートルズのメンバーと交流があり、一緒にインドへ渡るような仲だったし、ポールとは作詞のアイディア交換までする間柄だった。そしてポップなメロディーに乗せて、この禅問答のような歌を書いたのである。

2009年。映画監督デヴィッド・リンチの財団が主催する「世界中の100万人の子供たちに超越瞑想を教えよう」というチャリティー・コンサートには、ドノヴァンとポール・マッカートニーの姿があった。瞑想。それはある意味、アメリカ的な坐禅である。

西欧と東洋的感性の出会い。
それは1893年に遡る。
その年、アメリカはシカゴで万国博覧会が開かれた。その一環として、第1回万国宗教会議が開かれた。この会議で一躍スポットライトを浴びたのは、インドから飛び入り参加したひとりの青年だった。

「源を異にする様々な河川が、すべて海に流れ込んで一つになるように、おお主よ、人々が様々な傾向に応じて辿る様々な道は曲がりくねったり、真っ直ぐであったり、それぞれ違って見えるでしょうが、すべてはあなたの元に達します」

西欧文化の前に力をなくしていた日本を嘆いた岡倉天心が日本に呼びたいと願ったのが、この青年、スワミ・ヴィヴェーカーナンダである。
彼はその後、アメリカ各都市で講演した後、英国へ渡り、インドへ帰国するが、心理学者のユングや伝説の科学者ニコラ・テスラらが彼に会い、感銘を受けたことが伝えられている。

この会議に、日本からの代表団のリーダー役を果たしたのが、臨済宗の釈宗演だった。
34歳という若さで鎌倉、円覚寺の管長となった彼はまた、夏目漱石が「門」で描いた禅僧である。
この禅僧の通訳として同行したのが、仏教学者であり宗演のもとで禅を学んだ鈴木大拙だった。その後、大拙は禅に関する本を数々、アメリカで出版。一躍、禅はポピュラーな存在となっていくのである。

アップルの創業者、スティーヴ・ジョブズがインドで瞑想し、禅に親しんでいたのは、そんな背景があるわけだ。

さて。何やら意味不明の「霧のマウンテン」。ドノヴァンがその智慧を拝借したのは、唐代の禅僧。青原行思(せいげんぎょうし)である。彼が詠んだ詩に、次のようなものがある。

 看山是山 看水是水
 看山不是山 看水不是水
 看山還是山 看水還是水


「人生三重界」とも言われるこの三段は、訳せば次のようになる。

1)山を見ては、これは山であるとする
  水を見ては、これは水であるとする
2)山を見ては、これは山ではないとする
  水を見ては、これは水ではないとする
3)山を見ては、やはりこれは山であるとする
  水を見ては、やはりこれは水であるとする


禅問答に回答はない。だが、ここでは考えるヒントとして、ひとりの医師の感想を紹介しておこう。

1)目の前にいる患者を見る
2)目の前にいる患者ではなく、患部を診る
3)患部を抱えた患者を診る




さて、そんなドノヴァンは、ボブ・ディランが1965年全英ツアーをした際、ディランの宿泊先をたずねている。
その模様は、1967年に公開されたドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」に収録されているが、ディランは「ラヴ・マイナス・ゼロ/ノー・リミット」を歌ってみせる。

<無限(ノーリミット)>分の
<愛(ラヴ)ー(マイナス)空(ゼロ)>


インドや禅に惹かれるドノヴァンを、ディランは仏教で切り替えして見せるのである。
次回は、ディランの「ラヴ・マイナス・ゼロ」を紐解いてみよう。


Donovan『Essential Donovan』
Sony

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