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ディランが別れを告げたベイビー・ブルーの正体

2015.11.12

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♪ ここから去るがいい
  必要なものを
  永遠に残ると思ったものを手に ♪


アルバム『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』が発売された1965年の夏、ニューポート・フォーク・フェスティバルで起こった「事件」は、ポピュラー・ミュージック史だけでなく、多くの音楽ファンの脳裏に記憶されてきました。
ロック・バンドをバックに「マギーズ・ファーム」を歌った時のファンのブーイングは映像でも確認できますが、その他にも尾ひれがついた噂が、その事件の意味を伝えてきました。



その中でも有名なものは、楽屋にいたピート・シーガーが斧でアンプの配線を叩き切ろうとした、という「伝説」です。
そして、再びステージに現れたディランが、「涙ながらに」この「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」を歌った、という「物語」。
フォーク・ギター1本で、ディランが「イッツ・オール・オーバーナウ、ベイビー・ブルー」を歌ったことは確かですが、彼が「涙を流して」いたかどうかはわかりません。
いずれにしても、この夜の出来事は、ロック時代の幕開けを象徴するような事件だったのです。

そして問題は「楽器」だけではありませんでした。
多くの聴衆は、ディランに「プロテスト・シンガー」としての立ち振る舞いを求めていました。
「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイシー・ブルー」は、アルバム『ブリング・イット・オール・バック・ホーム』の一番最後に収録されている曲ですが、ディランはその前のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』の最後にも「別れの歌」を配置しています。

♪ 窓から出てってくれ
  君が好きなスピードで
  俺は君が望む男じゃ
  ないんだ、ベイブ
  俺は君が必要としてる男じゃ
  ないのさ ♪


「悲しきベイブ」と題されたこの歌をジョーン・バエズがステージで歌った時のコメントが、その当時を象徴しています。

「次に歌う曲は、プロテスト・ソングです」


ジョーン・バエズは、「悲しきベイブ」を歌う前にあえて、そう言っているのです。あなたの望み通りには生きられない、という宣言は確かにプロテスト・ソングと呼べないことはないのでしょうが、プロテスト・ソング以外は歌ではない、という、宗教にも似た集団的熱狂が渦巻いている時代でした。


フォークの旗手としてディランが一躍脚光を浴びたのは、その3年前の夏のことでした。
1963年。夏。「風に吹かれて」を収録したセカンド・アルバム『フリー・ホイーリン』を発売したばかりのディランは、ニューポートに出演した後、ワシントン大行進でも歌を披露しました。
キング牧師が「私には夢がある。。。」と演説した、あの場所での演奏以来、「プロテスト・シンガー」というレッテルはディランと不可分のものとなっていたのです。



しかし、ディランは変化し続ける社会以上のスピードで変わり続けていました。フォーク・ギターからエレクトリック・ギターへの持ち替え以上に、彼が書く詩の世界は急激な変化をしていたのです。
その変化の要因のひとつに、東洋的な精神世界があったことは、「ラヴ・マイナス・ゼロ~」のコラムで触れてきた通りです。
ディランの東洋思想への傾倒は、後に発表される「アイ・シャル・ビー・リリースト」の中の有名な一節にも見て取ることができます。

♪ 我が光が輝いていくのが見える
  西から東へと
  いつの日か
  いつの日か
  私は解放されるだろう     ♪


さて、「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」の冒頭で彼は、「ベイビー・ブルー」に対して、永遠に残るようなものがあれば、それを手に去っていくように言い放っています。
ここで、別れていく二人の立場が明確に区別されます。

主人公=無常の世界。永遠のものなどないこと=空を知っている
相手=無情の世界を知らず、目の前のもの=色に執着している

♪ ほら、そこでは君の孤児が
  銃を手にして立っている
  太陽の炎のように
  叫び声をあげている   ♪


普通の別れ歌だと解釈すれば、この孤児は、主人公が別れようとしている女性の子供だということになります。付き合っていた女性の連れ子が銃を手に叫んでいる、となれば、大変な別れの修羅場ということになりますが、ここでは、あくまで象徴的に使われている言葉だと考えるのが自然でしょう。
孤児とは、主人公の昨日までの「自我」のことでしょう。変化を拒んでいる「自分」です。

♪ さあ、聖者たちがやってくる
  もう、すべて終わったのさ
  ベイビー・ブルー    ♪


「ベイビー・ブルー」とは一体、誰なのでしょうか。
その前に、歌詞の続きを追ってみましょう。

♪ ハイウェイはギャンブラーのもの
  感覚を使うのさ        ♪


ディランは突然、歌のカメラをハイウェイに切り替えます。
「ハイウェイ」はディランが度々使う言葉で、「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」に続くアルバム『追憶のハイウェイ61』の主題も「ハイウェイ」ですし、「ジョアンナのビジョン」では、次のように歌っています。

♪ モナリザはハイウェイ・ブルースを
  持ってたに違いない
  彼女の微笑を見ればわかるさ  ♪


「ハイウェイ61」。ニュー・オリンズからメンフィスを通り、セントルイス、アイオワ、ミネソタと進み、カナダ国境まで続くこの国道は、ブルースのハイウェイとも呼ばれました。
伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売ったのは、61号線と49号線が交差するクロスロードでした。
エルヴィス・プレスリーは61号線沿いの家で育ち、キング牧師が殺害されたのも、61号線沿いのモーテルでした。
そして、ディランがこの世に生を受けたのも、ミネソタ州を走る61号線沿いの家だったのです。

highway61

少年時代、ラジオからは明るいポップスが流れていました。
ディランはその頃耳にしたある曲を思い出した、と語っています。

♪ 初めてあの娘に会った時
 「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥー」と
  僕が言うと
  彼女は僕の瞳を見つめながら
  言ったのさ
 「私の名前は、ベイビー・ブルー」♪


ジーン・ヴィンセントの「ベイビー・ブルー」です。
ディランは、自分の過去に別れを告げようとしていました。
その象徴として、少年時代に聞いた「ベイビー・ブルー」をあてはめたのでしょう。
無邪気な時代の終わり。

そして、ディランの別れ歌は、古い時代のアメリカとの決別の歌のようにも響いたのです。

次回は、もう少し詳しくこの曲を紐解いていきましょう。



Bob Dylan『Bringing It All Back Home』
Sony


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