TAP the ROOTS

大人になることを待ちわびたスティーヴィー・ワンダー

2017.02.16

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 1972年。
 22歳になったスティーヴィーは希望に満ちていた。新しい音楽を、自分だけの音楽を作っていく。そんな夢の扉を、彼が自ら開こうとしたのには理由があった。
それは彼が11歳の頃、モータウンと契約した時にさかのぼる。

 スティーヴィーはミシガン州サギノーで生まれている。だが彼が4歳の時、母親のルーラ・メイは子供たちを連れてデトロイトへ移住していた。
 デトロイト。そこは自動車産業とモータウンの都市である。モータウンの創業者、ベリー・ゴーディ・ジュニアが(まだタムラ・レコードと呼ばれていた時代に)最初に契約したグループはザ・マタドールズだった。グループはすぐにザ・ミラクルズと改名するが、スモーキー・ロビンソン率いるこのグループにロナルド・ホワイトがいた。11歳だったスティーヴィーは自作の「ロンリー・ボーイ」をホワイトの前で歌う機会に恵まれる。
 スティーヴィーの才能を見込んだホワイトは、彼をモータウンのオーディションに連れて行く。そして社長であるベリー・ゴーディ・ジュニアの前で歌と演奏を披露したスティーヴィーは、リトル・スティーヴィー・ワンダーとなったのである。

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 そしてモータウンからデビュー。
 だが、大人として認められる21歳まで、スティーヴィーは印税を手にすることができなかった。印税は基金に積み立てられ、少年にはわずかな週給が支払われるだけだったのである。
 大人になったら。。。

 スティーヴィーがその準備を始めたのは、1970年。2年前のことだった。彼はモータウンからプロデュース権を獲得して、自らの音楽出版社を設立していた。

 1972年。
『トーキング・ブック』のレコーディングに、スティーヴィーはエレクトリック・レディ・スタジオを選んだ。ジミ・ヘンドリックスがニューヨークに作ったスタジオを、彼は長期間、予約していたのである。ベーシストとしてセッションに参加していたスコット・エドワーズがこう嘆いている。

「スティーヴィーは24時間、音楽なんだ。だからたとえ、それが朝の4時でも、電話をかけてくるのさ。来てくれよって」


 新たな音楽を模索する日々。
 スティーヴィーは、ひとりのギタリストをスタジオに招いていた。3大ギタリストのひとりとして、当時、ベック・ボガード&アピスを結成していたジェフ・ベックである。そしてある日のこと、ベックが印象的なリフを弾いてみせると、スティーヴィーがすぐに、反応した。彼はアドリブで歌詞を乗せ、歌ってみせたのだ。

 こうしてできあがった「迷信」は、当初、ジェフ・ベックが発表することになっていた。それほど、ギターのリフが強烈だったからである。
 だが、モータウンはこの曲を『トーキング・ブック』に収録するだけでなく、スティーヴィーのシングルとして発表するよう、要請したのだ。そして、「迷信」はヒットチャートの1位に輝いた。



 スティーシーはジェフ・ベックへのお詫びとして、新たに「哀しみの恋人達」を書き下ろす。この曲はジェフ・ベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」に収められ、彼の代表曲のひとつとなったのである。



こちらのコラムも合わせてどうぞ!
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スティーヴィー・ワンダー『トーキング・ブック』
Sony

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