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TAP the ROOTS

ハンク・ウィリアムズが最後にレコーディングした名曲

2017.03.16

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 2002年。
 70歳になっていたジョニー・キャッシュは、人生の集大成とも呼べるアルバムをレコーディングしていた。タイトルは『ザ・マン・カムズ・アラウンド』。「ザ・マン」とは、ヨハネの黙示録に登場する裁きの主である。
「ゴスペル・ロード」と題されたイエスの物語を映画化するなど、敬虔なキリスト教徒の一面があったジョニー・キャッシュだが、ヨハネの黙示録のもつ意味を理解できたように思えたのは、人生の最終章だったのである。
 そのアルバムの中で、ジョニー・キャッシュは「泣きたいほどの寂しさだ」を録音している。
「これほど寂しい歌を聴いたことがない」とエルヴィスが語ったこの歌を書き、歌ったのはハンク・ウィリアムズ。ハンクが歌ったのは1949年だから、ジョニー・キャッシュが17歳の時である。

「この年になって、ようやくハンク・ウィリアムズのこの歌を歌えたのだよ」



 ジョニー・キャッシュはレコーディング後のインタビューでそう答えているが、ハンク・ウィリアムズはまさしく、ジョニー・キャッシュたちが過ごした時代の伝説だった。

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 ハンク・ウィリアムズは1923年、アラバマ州で生を受けている。本名は、ハイラム・キング・ウィリアムズ。旧約聖書の登場人物であり、フリーメイソン伝説にも登場するハイラム(ヒラム)という名前はカントリー・シンガーには似合わないと考えたのだろう。彼はハンクと名乗るようになる。

 下宿屋を営んでいた家の庭で作った野菜を売り歩いていたハンクがどうやってギターを手に入れたのかは所説ある。だが、まだティーネイジャーとなる前の彼が、どうやってギターを覚えたかについては、記録が残っている。
 ある日、ハンクはルーファス・ティートット・ペインという黒人の路上ミュージシャンと知り合ったのだ。ペインはハンクにギターと歌を教えた。そしてハンクの母リリーは、その見返りとしてペインに食事を提供したのである。
 カントリー・シンガーである前に、ハンクはブルースを学んでいた。そして、このことが彼に独特の存在感を与えることになる。
 そして1937年。14歳になっていたハンクは、地元のラジオ局の近くの路上で、歌っていた。そして彼の思惑通り、ハンクの歌は、ラジオ番組のプロデューサーの耳にとまる。それから15年。。。

 多くのヒット曲を放ってきたハンク・ウィリアムズは、最悪の29歳を過ごしていた。古傷の背中の痛みの再発以来、モルヒネとアルコールを摂取するようになって以来、長年連れ添った妻であり、マネージャーでもあったオードリー・シェパードとは喧嘩が絶えず、5月には離婚が決まった。そして8月には、レギュラーとして出演していた人気ラジオ番組「グランド・オール・オプリ」からは契約解除を言い渡されていた。酩酊状態で公開ライブに現れたからである。

 そして翌9月。
 ハンクは新たな曲を3曲、録音する。
「カウ・ライジャ」
「ユア・チーティン・ハート」
 そして
「テイク・ディーズ・チェインズ・フロム・マイ・ハート」
 この歌は、フレッド・ローズとハイ・ヒースの共作である。
 フレッド・ローズといえば、ウィリー・ネルソンがヒットさせた「ブルー・アイズ・クライング・イン・ザ・レイン」の作者でもあるナッシュヴィルの大御所だが、このセッションを最後に、フレッド・ローズもハンクの元を離れていくのである。


この胸の鎖を外して
俺を自由にしてほしい



 ハンク・ウィリアムズは翌1953年1月1日。ツアー中の車の中で息を引き取ることになる。鎮痛剤とアルコールの過剰摂取が原因だと言われている。そしてこの歌は彼の死後、ハンク最後のナンバー1ヒットとなるのだが。。。

 ジョニー・キャッシュはかつて、娘のロザンヌにカントリーの名曲リストを書いて渡している。そのリストの全容はわからないが、ロザンヌはそのリストの中から選んだ曲を『ザ・リスト』と題されたアルバムの中で披露している。そしてこのアルバムの中にも、この「テイク・ディーズ・チェインズ・フロム・マイ・ハート」は収録されているのである。


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