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デレク・アンド・ザ・ドミノスを育てた力~「キープ・オン・グローイング」

2017.05.18

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育っていく
育っていく
どんどんと育っていくのさ

 1970年、エリック・クラプトンは、ボビー・ウィットロク、ジム・ゴードン、カール・レイドルとバンドを結成する。後に、デレク・アンド・ザ・ドミノスと呼ばれることになるこのバンドには、当初、名前はついていなかった。
 小さなクラブで演奏する時は「エリック・クラプトン・アンド・ヒズ・バンド」と紹介されてきた彼らだが、いよいよバンド名をつける必要に迫られる時がやってきた。
 アシュトン、ガードナー&ダイク(以下AG&D)がステージを用意したからである。
 AG&Dは、1968年に結成されたヘヴィ・ロック・バンドで、彼らのセカンド・アルバム「ワースト・オブ・AG&D」には、エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンが名前を変えて参加していた。
 クラプトンの新しいバンドを紹介するのは、AG&Dのキーボード奏者、トニー・アシュトンの役目だった。トニーはマージー・ビートのバンド、レモ・フォー時代からビートルズと知り合いだった。

「ダイナミクスではどうだい?」
 ボビー・ウィットロクが提案した。
 悪くはなかったが、100点というわけでもなかった。
 そこで、クラプトンのニックネームだった「デル」と名前の「エリック」を掛け合わせて、「デレク」という名前を考えた。デレク&ダイナミクス。バンドがトニー・アシュトンに新しいバンド名を伝えたのは、当日のことだった。
 そして、トニー・アシュトンはバンドを紹介したのである。
「レディース&ジェントルマン、デレク・アンド・ザ・ドミノス!」

「その瞬間、転げ落ちそうになったよ。そして僕は、ダボダボの色違いのスーツを着たメンバーがステージに立っている姿を想像したのさ」とボビー・ウィットロクは語っている。ドミノスというバンド名からボビーが瞬間的に受けた印象である。
 だが、この名前はこれ以降、彼らの正式名となる。


育っていく
育っていく
どんどんと育っていくのさ

 まさに、見えない力がバンドを育てているようだった。

 デレク・アンド・ザ・ドミノスのステージは、ジャム・セッションの延長だった。
 そしてそれはスタジオに入ってからも同じだった。
 ジャム・セッションをしながら、曲の輪郭ができあがっていった時、誰かが演奏を止める。
 その時は、ボビーだった。
 ボビーはマイアミのクライテリア・スタジオのロビーに出て、紙に鉛筆を走らせた。


僕は笑ってた
街で遊んでた
何も知ることなく
自分の運命などね

 ボビーが書きなぐった歌詞は、バンドの有様そのままだった。
 スタジオに戻ると、ボビーはその歌詞を歌ってみた。
 だが、何かしっくりこなかった。
「エリック、君も歌ってくれないか」とボビーは言った。「君が歌う。僕も歌う。一緒に歌うのさ。サム・アンド・デイヴみたいにね」

 サム・アンド・デイヴは後に、ブルース・ブラザーズがカバーしたことでも知られるアトランティック・ソウルのデュオである。


育っていく
育っていく
どんどんと育っていくのさ

 バンドはマイアミの地で、どんどんと成長を続けていた。



デレク・アンド・ザ・ドミノス『いとしのレイラ』
Polydor

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