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「リキの電話番号」〜ドナルド・フェイゲンが電話番号を渡した憧れの人

2017.09.07

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 ニューヨーク州アナンデール・オン・ハドソンに小さな単科大学がある。1860年創立のこの私立大学、バード・カレッジはアメリカでもっともリベラルな校風の大学として知られている。第2次世界大戦中、ナチスの迫害を逃れてアメリカに逃げてきた欧州からの難民に避難所を提供したことでも知られるこの大学は、一時、コロンビア大学に吸収されることになるが、すぐ、独立し、現在に至っている。

 1967年。この大学のエリザベス朝様式の建物の中でハロウィン・パーティーが開かれていた。コモンルームには簡単なステージが作られ、バンドが演奏していた。観客の学生たちは、多くがドラッグでハイになっていた。
 レザー・カナリーというそのバンドのドラム・セットに座っていたのは、チェビー・チェイスだった。後に「サタデーナイト・ライブ」などに出演することになるコメディアンにして、エミー賞の脚本賞を受賞する脚本家となる多才な男である。
 チェビー・チェイスの前に立ち、ギターを抱えていた長髪の男はウォルター・ベッカーだった。大学一の熱狂的な音楽フリーク、ギタリストとして有名だった。
 そしてキーボードの前にレザージャケットを着て座っていたのは、シャイなドナルド・フェイゲンだった。
 ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは後に、スティーリー・ダンを結成することになる。


リッキ
この電話番号をなくすなよ

 スティーリー・ダン最大のヒット・シングルとなる「リキの電話番号」の一節である。
 ハロウィン・パーティーの観客の中に、ひとりの女学生がいた。
 リッキ・ダコーネット。
 パーティーの後、ドナルド・フェイゲンが彼女に電話番号を渡したのである。
 彼女は当時、学生結婚をしていた。そして妊娠していた。それでも電話番法を手渡したのだから、ドナルド・フェイゲンにとって、彼女はとびきり魅力的にうつったのだろう。
 だが、その恋はむなしく終わる。
 彼女から電話がかかってくることはなかった。
 それでも、スティーリー・ダンの名曲は生まれ、彼女はといえば、作家、詩人、アーティストとして成功を収めたのである。



スティーリー・ダン『プレッツェル・ロジック』
USMジャパン

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