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キース・リチャーズが、ジミー・ペイジが敬愛したギタリスト、スコティ・ムーア

2018.06.28

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 1950年代に青春を過ごした者たちは、誰もがエルビスに憧れたものだった。デビュー前のビートルズは、ジョンもポールもジョージも、リーゼントで革ジャン姿だった。だが、キースは違った。

「『ハートブレイク・ホテル』を聴いた時、人生の目的がわかったのさ。とにかく、ああいうふうに弾きたい、それだけだった。誰もがエルビスになりたがっていたが、俺はスコティになりたかったのさ」

 キース・リチャーズは、スコティ・ムーアについて、そう語っている。



 スコティ・ムーア。1931年の年の瀬に生まれた彼がサン・レコードでエルビスと出会ったのは、彼が21歳、エルビスが19歳の時だった。
 サン・レコードに現れた時、エルビスはトラックの運転手だった。エルビスは大好きな母親にプレゼントするために、歌を録音しにやってきたのである。

 エルビスのレコーディングを担当したのは、マリオン・カイザーだった。メンフィス生まれの彼女は、地元のラジオ局WRECで働いていたことがある。その時、アナウンサーだったのが、サン・レコードの創設者サム・フィリップスだった。そう、彼女はラジオ局の仕事を辞め、サムが始めたレコード会社兼レコーディング・スタジオで、サムのアシスタントとして働いていたのである。

「黒人のように歌える白人はいないだろうか」

 マリオンは、スタジオで歌うエルビスの歌声を聞いて、サムが言っていた言葉を思い出した。そして、すぐサムに報告したのである。
 サム・フィリップスは、マリオンの報告を聞いてすぐ、スタジオに出入りしている何人かのミュージシャンに電話をかけた。サムの中ではもう、新しいサウンドが鳴っていた。スコティ・ムーアのギターとエルビスの歌声が出会った瞬間である。
 スコティ・ムーアは、古くからの仲間、ベーシストのビル・ブラックを連れてきた。そして、セッションが始まった。
 エルビスのファースト・シングルとなった「ザッツ・オールライト・ママ」は、このセッションから生まれている。

 エルビスたちが録音した曲は、翌日の7月7日、早くもラジオで流されている。メンフィスのWHBQのDJ,デューイー・フィリップスが自らの番組「レッド・ホット・ブルー・ショー」で紹介したのだ。そしてエルビスの歌声は、スコティのギターは、メンフィス中に、アメリカ中に、世界中に、広がっていったのである。
 ちなみに、レコードになったのは、セッションの第2テイクだった。
 最初のテイクでは、エルビスが「馬鹿みたいに」(スコティ談)飛び回り、まともに録音できなかったのである。




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