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ブルーにこんがらがって(後編)

2014.03.20

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前編はこちらからどうぞ

さて、前編で「Tangled Up in Blue」(「ブルーにこんがらかって」)の物語を時間軸に合わせて再現すると、4)節目からスタートするのが自然だという話を書いた。

片田舎から都会に出てきた主人公は、トップレスバーで彼女と出会う。ひと目でその美しさに魅入られた主人公のところに、彼女はやってきてこう言うのだ。
「ズィミー、って名前じゃなかった?」
そして主人公は口ごもる。
何故かといえば、彼女が主人公の「秘密」を言い当てたからである。

ボブ・ディランの本名はロバート・アレン・ジマーマン。幼少の頃、ジマーマン( Zimmerman )を略してズィミー(Zimmy)と呼ばれていた可能性がある。
それは、1979年に発表されたキリスト教改宗後の第1作となる「Slow Train Coming」の冒頭に収録されているリード・シングル「Gotta Serve Somebody」の歌詞からも推測することができる。
「君は誰かに仕えなきゃならない」というリフレインの前で、ディランはこう歌っているのだ。

♪君が俺のことをボビーと呼ぼうが、ズィミーと呼ぼうが。。。♪


ロバートの愛称であるボビーの対として、ズィミーという名前が使われているのがわかる。

話を「ブルーにこんがらがって」に戻そう。
運命的な出会いをしたふたりは、5)節では彼女の家にいる。
暖炉の火に炙られながら、主人公は彼女から13世紀のイタリア詩人の本を手渡される。

この詩人はダンテ・アリギエーリだ。
詩集は「新生」か「神曲」だろう。
「新生」はダンテが恋焦がれながらも結ばれることがなかった永遠のマドンナ、ベアトリーチェに捧げられたもの。
「神曲」にも、このベアトリーチェは登場する。
いずれにしても、ダンテを想像されることで、リスナーは主人公が宿命の恋に落ちたことを知るのである。
運命に翻弄され、結ばれない悲恋の物語はその後、脚色され、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」になっていく。
そして運命の出会いを果たした主人公と彼女の物語は、6)節へとつながっていく。

6)節で主人公は、モンテギュー通りで暮らしていたことを告白している。
実際、ニューヨーク・ブルックリンにある音楽カフェには、60年代のディランがよく姿を現しており、そこにはモンテギュー通りが存在するのだが、「ロミオとジュリエット」の物語をイメージしたリスナーは、すぐにロミオの名字を思い出すに違いない。
そう、ロミオは、ロミオ・モンテギューという名前なのである。
だが、待っていたのは、転落だった。
そこには、彼として描かれる彼女の夫らしき男性と彼女の関係が深い影を落としている。主人公はその影の中で言葉を失っていく。

物語は2)節へと逆戻りする。
彼女と彼が別れることは定めなのだと信じる主人公は、彼女を車に乗せ、西へと向かう。だが結局、主人公と彼女も別れることになる。そして別れ際、彼女は「また会うことになる。。。」という謎の言葉を残すわけだ。
その言葉は3)節で、各地を転々としている間も、主人公につきまとう。
そして1)節が現在の直前、だ。主人公は、もう一度、彼女との出会いの地、東海岸を目指すことを決心する。

最後の7)節。主人公はおそらく車を飛ばしながらニューヨークへ向かっている。
これまで出会った仲間たちの姿が幻のように現れる。数字と格闘するビジネスマンになった者もいるし、イエスを産んだマリアの如く良き妻の座を選んだ者もいる。
だが、主人公はそんな普通の人生を選び取ることはなかった。
だから彼は今も旅を続け、永遠の女性を追いかけるのだ。
主人公をズィミーと呼ぶ、真の彼の心を掴んだ女性は彼女だけなのだから。。。

というのが、納得できるひとつの展開である。
だが、答えなどない。どう解釈してもいいように、この曲は作られているからだ。
実際、この歌詞通りの時間軸で物語を楽しむことも可能なのだ。
ミネソタの片田舎で育った主人公が、身分不相応を恋を経験する。
それ以来、ロミオのように常に理想の女性を想い続けながら流転する主人公の人生を描いた歌としても成り立つのである。

さて、皆さんはこの歌を、どんな物語として聞いただろうか。


Bob Dylan『Blood on the Tracks』
Sony

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