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カル・リプケンの偉業を球場で祝福したジョーン・ジェットと「アイ・ラブ・ロックンロール」

2018.09.06

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 1994年9月6日。
 ボルチモアのオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズには、ウィリー・メイズをはじめとした往年のメジャーリーガーたちが集まっていた。彼らはファン同様、カル・リプケンの偉業を祝福するために、ボルチモア・オリオールズの本拠地スタジアムに足を運んだのである。
 カル・リプケンは、ルー・ゲーリックがもっていた偉大なる2130試合という連続試合出場記録をこの日、塗り替えようとしていた。
 試合前の国家斉唱。主人公であるカル・リプケンのリクエストでマイクに向かったのは、ジョーン・ジェットだった。16歳の時、ランナウェイズとしてデビュー、その後、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツとして活躍したロック・シンガーである。



 1977年。コルセットとガーターベルトといったショッキングな衣装でランナウェイズが「チェリー・ボム」をヒットさせた時、ジョーンは19歳。彼女より2つ年下のリプケンは、白球を追い、汗を流す高校2年生だった。彼はその翌1978年のドラフトで、オリオールズから2巡目に指名されている。
 リプケンがプロ入りした1979年、ランナウェイズは解散。ジョーンは、ソロ活動を始めるため、イギリスに渡っている。
 この時、ジョーンはセックス・ピストルズのメンバーだったポール・クック、スティーヴ・ジョーンズと出会っている。ジ・アロウズの「アイ・ラブ・ロックンロール」を初めてカバーしたのは、彼らとのセッションだった。

 カル・リプケンのメジャー・デビューは、1981年。真夏のカンザスシティ・ロイヤルズ戦だった。
 そして1982年。リプケンは晴れて、スターティング・ラインナップに名を連ねるようになる。当初は三塁手としての出場であったが、この年の7月、名将アール・ウィーバーにより、遊撃手にコンバートされている。偉大なる遊撃手、カル・リプケン誕生の瞬間である。
 この年、リプケンは、打率264、28本塁打、93打点をマークし、アメリカン・リーグの新人王に輝いている。

 ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「アイ・ラブ・ロックンロール」がビルボード・チャートで7週連続ナンバーワンというビッグ・ヒットとなったのは、まさしくリプケンが鮮烈な印象を残した1982年のことであった。



 もちろん、リプケンは、同時代を生きたロック・ミュージシャンだから、というだけでジョーン・ジェットを球場に呼んだわけではない。ジョーンが歌う曲は、様々なスポーツ・シーンで流されてきたのである。
 NBCテレビのアメフト中継「NBCサンデーナイト・フットボール」のテーマ曲には、今でもジョーンの「I Hate Myself For Loving You」の歌詞をアレンジした「Waiting All Day For Sunday Night」が使われている。



 ちなみに、カル・リプケンが連続出場の記録を塗り替えた日、対戦相手は、現在、大谷翔平が所属するエンジェルスであった。
 大谷が将来、何か偉大な記録を残す時、そこにはどんなシンガーが登場するのであろうか。


Joan Jett and The Blackhearts『Greatest Hits』
Blackheart Records

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