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タイタニックのヒロイン、ローズのモデルになった女性

2019.02.28

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1997年の暮れに公開された映画「タイタニック」は大ヒットを記録し、その主題歌としてシングルカットされたセリーヌ・ディオンの歌う「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」は翌1998年の2月28日に、チャートのナンバーワンに輝いた。

 作曲は、ジェームズ・ホーナー。
 ロサンゼルス出身の彼は、英国王立音楽アカデミーで作曲を学び、UCLAで教鞭を取った後、映画音楽の道に進んでいる。
 作詞は、ウィル・ジェニングス。
 テキサス出身の彼は、ステファンFオースチン州立大学を出て、ウィスコンシン大学で教えた後、作詞家の道に進んでいる。
 どちらも、先生、だったわけだ。
 ホーナーは映画音楽中心だったのに対して、ジェニングスは、スティーヴ・ウィンウッド、エリック・クラプトン、マライア・キャリーなど、ロック&ポップ・ソングの作詞家としてそのキャリアを歩んできた。

 ジェニングスに声をかけたのは、ジェームズ・ホーナーだった。
「家に来てほしいと、ジェームズ・ホーナーに言われて行ってみると」と、ウィル・ジェニングスは語っている。

「ジェームズは脚本の筋を話し、映画用に書き下ろしたテーマ曲を弾いて聞かせてくれました。そして主人公のローズという女性が過ぎし日々を振り返るという場面で、私のイマジネーションが開いたのです」


 過ぎし日々を振り返る100歳を超えた女性。
 ローズのモデルになったとも言われるその女性に、ジェニングスは会ったことがある。
 マルセル・デシャンと恋に落ち、ダダイズムの母とも呼ばれたベアトリス・ウッドは、パリからアメリカに帰国後、陶芸家として活躍した。

「偶然、数年前、私はカリフォルニアのオジャイで、ベアトリス・ウッドに会っていたのです。そこは、私が住んでいたウエストレイク・ビレッジから1時間かそこら、北へ行ったところです」


 ウッドは、第1次世界大戦を機に、アメリカに戻った後は、ニューヨークを拠点としていたが、晩年はカリフォルニアに引っ越してきていた。

「私と妻は、ウッドの自伝映画『ダダイズムの母』のプレミアがあるというので、観に行きました。すると、ミズ・ウッドその人が姿を見せたのです。101歳を過ぎてなお、彼女は生き生きとしていました。そして彼女と握手した時、私は、それまで経験したことのない生命の力強さを感じたことを覚えています」


 ホーナーとジェニングスは、セリーヌ・ディオンにこの曲を歌わせることに決めていた。
 ふたりは映画「アメリカ物語2/ファイベル西へ行く」向けに、「ドリームス・トゥ・ドリーム」を書いている。セリーヌはその時、デモ用に歌を歌ってくれていた。ふたりは是非、セリーヌで、と願っていたのだが、結局、その曲はリンダ・ロンシュタットが歌うことになった。いわゆる、当時の力関係である。

 ところで。。。
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」がナンバーワンになった1998年2月の翌月、3月12日にベアトリス・ウッドは、105歳の長い人生に幕を閉じた。



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