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個人の意思から神の意思へと昇華した「ウィー・シャル・オーヴァーカム」

2019.04.25

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2006年4月25日、ブルース・スプリングスティーンは『ウィー・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッション』をリリースした。フォーク界の伝説、ピート・シーガーの作品をカヴァーした1枚である。



 この作品でブルースは、アメリカの遺産ともいえるフォーク・ミュージックと、その故郷でもあるアイルランドの伝統音楽に包まれながら、実に生き生きとプレイしている。
 ライブ盤『ライヴ・イン・ダブリン』は、当然のように、アイルランドでのコンサートの模様が収録された。フォーク・ミュージックがブルースにとってルーツ・ミュージックのひとつであるように、イタリアとアイルランドの血を引く彼にとって、そこは故郷なのである。


我らは打ち克つだろう
我らが打ち克つだろう
いつの日か
この胸の奥深く
私は強く信じる
いつの日か
我らが打ち克つであろうことを


 ピート・シーガーの代表曲であり、その後、マーティン・ルーサー・キングの説教の主題歌ともなったこの歌の誕生には諸説あるが、一般的には、フィラデルフィアのメソジスト教会の牧師、チャールズ・アルバート・ティンドリーが1901年、賛美歌に歌詞をのせ、「アイル・オーヴァーカム・サムデイ」(私は打ち克つであろう、いつの日か)と呼んだことから始まる、とされている。



 この歌は、アメリカ南部の黒人教会でよく歌われるようになるが、その頃には、「アイ・ウィル・オーヴァーカム」と歌われるようになっていた。
 そして、この曲のハートランドとなるのが、1932年、テネシー州に作られたハイランダー・フォーク・スクールである。戦前から、公民権運動、労働運動の中心地となっていたところだ。フォーク・ミュージックは、反体制の音楽として語られることが多いが、当時は、労働運動の場で歌われることが少なくなかった。
 1947年、ストライキを起こしたサウスカロライナ州チャールストンの煙草農場の労働者が、ハイランダー・フォーク・スクールのワークショップに参加し、この歌を(「アイ・ウィル・オーヴァーカム」として)紹介した記録が残っている。
 この歌を気に入ったのが、スクールの文化ディレクター、ホートン女史だった。その後、彼女はこの歌を自身が担当するワークショップで演奏するようになる。そしてそのワークショップに参加したのが、ピート・シーガーだったのである。



 1948年、ピート・シーガーは、この曲を「ウィー・シャル・オーヴァーカム」として出版登録している。彼は「ウィル」を「シャル」に変え、歌詞を何番か追加している。「ウィル」を「シャル」に変えることで、個人の意思ではなく、神の定めた運命、というような意味を込めたのだろう。彼が29歳の時である。

 キング牧師がこの歌と出会ったのは、1957年、ハイランダー・フォーク・スクールの25周年を祝う日だった。まだ、彼が28歳の時である。

 ピート・シーガーは2014年、96歳でこの世を去った。キング牧師は、1968年、39歳で銃弾に倒れた。
 だが、「ウィー・シャル・オーヴァーカム」という歌は、まだ歌い継がれている。ピート・シーガーは晩年、ブルースのヴァージョンを満足げに聞いていたそうである。



ブルース・スプリングスティーン『ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シーガー・セッションズ』
Sony


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