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時代の移り変わりを告げたラジオ・スターと『アメリカン・トップ40』

2019.07.04

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1980年代に青春を送った人たちにとって、音楽といえば、MTVだった。

ワーナー・コミュニケーションとアメリカン・エクスプレスが共同出資して始まったMTVが放送開始されたのは、1981年の8月のことだった。最初に流されたビデオ・クリップが「ラジオ・スターの悲劇」だったことは有名な話である。


ビデオがラジオ・スターを殺した
ビデオがラジオ・スターを殺したんだ
絵葉書が届き
君を傷つけた



ラジオ・スター。
1970年代に音楽と出会った人たちにとっては、ラジオこそは、新しいサウンドを届けてくれるメディアだった。

1970年7月4日。
70年代を代表する音楽番組『アメリカン・トップ40』のパーソナリティをこの日から、ケイシー・ケイスンがつとめるようになった。
日本でも『全米トップ40』という名で紹介されたこの番組は、番組MCの湯川れい子さんの魅力もあり、金曜日の夜には、多くのリスナーが耳を傾けたものだった。

ケイシー・ケイスン(正確に記せば、ケイセム)。
彼の両親は、イスラム第三の宗派とも言われるレバノンのドゥルーズ派の移民だった。だが、アメリカにやってくると、彼らはアメリカ社会へ適応することを第一に考えた。両親の会話はアラビア語だったが、息子のケイシーには、家庭内でも英語を使うように教育した、と言われている。
まさに、両親のおかげもあり、ケイシーは声優、そしてDJとして成功を収めることができたのである。

ケイシーが初めて全米トップ40のDJを務めた1970年の7月4日。この日のビルボード・チャートのナンバーワンは、スリー・ドッグ・ナイトの「ママ・トールド・ミー(ノット・トゥ・カム)」だった。
スリー・ドッグ・ナイトにとって、初の全米ナンバーワン・シングルである。



では、ケイシーが初めて紹介した曲は何だったのだろうか。つまり、第40位の曲である。

第40位は、マーヴィン・ゲイの「シ・エンド・オブ・アウア・ロード」だった。



第8位にはビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が入っていた。



長く続いた道の終わり。
時代はまさに、60年代から次の「10年」に移ろうとしていたのである。

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