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アイム・ノット・ゼア〜女優が“ボブ・ディラン”を演じた初公認映画

2023.11.21

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『アイム・ノット・ゼア』(I’m Not There/2007)


1962年のデビュー以来、自らを覆うイメージの破壊と再生を繰り返しながら、“生ける伝説”となったボブ・ディラン。自分自身を発明し続けた男は、2016年10月にノーベル文学賞まで授賞。彼の歌を一度も聴いたことがない世代までその名は再び知れ渡った。

音楽やポップカルチャーの長い歴史を振り返ろうとする時、決して避けて通ることはできない存在。それがボブ・ディランという“リアル”だろう。当然、この男の音楽と人生をテーマにした映画は幾度となく企画されたものの、本人の許可がおりずにどれも実現までには至らなかった。しかし2007年、初めて本人から公認された真のディラン映画が登場する。『アイム・ノット・ゼア』(I’m Not There)だ。

実現させたのはトッド・ヘインズ監督。ディランの長男でインディペンデント映画監督のジェシーを通じて、マネージャーのジェフ・ローゼンと知り合って企画をアプローチした。

資料の一番上には映画のタイトル「I’m Not There」(私はそこにいない)と記された。これは1967年、後のザ・バンドと行った『ベースメント・テープス』セッション時に録音された曲のタイトルで、海賊盤として流通していたレアな曲。トッドにとっては、詩人アルチュール・ランボーの「私は一人の他者である」という詩節を想起させた。

ジェフはこちらの投げかけに対して、ディランを天才だとか、現代を代表するシンガーとは形容しないように注意した上で、1枚の紙にコンセプトをまとめて送ってくれるように言ってきた。まとめた用紙と自分の過去の映画ビデオを送ったら、数ヶ月後にディランから「イエス」という返事があった。未だに自分でも信じられないんだけどね。


トッドとディランのコミュニケーションは唯一このプレゼン資料だけ。その後、一度も会ったり話したりすることはなかった。望めば可能だったかもしれないが、敢えてそうしなかった。監督はディランの歌や詩、自伝、インタビュー映像、ドキュメンタリー映画だけでなく、ディランが影響を受けた音楽や文学や映画、あるいは社会的背景、制作活動を行った場所や住んでいた場所を訪れるなど、徹底的にリサーチを行った。 

彼について書かれている本はすべて読んだ。でもそれを書いた人に取材したりはしなかった。本物のディランや真実のディランを探すために出版された伝記はどれも失敗しているように見えたからね。ディランを描くには、フィクションを通じて描かなくてはならないと思った。


そうしてできあがった脚本はありきたりの伝記ものではなく、前代未聞のストーリーとなった。6人の俳優が7つのステージのディランをそれぞれ演じ分けているのだ。昨日・今日・明日が同じ部屋にいるかのように、7つの物語は交錯しながら、次第に一人のボブ・ディランという巨大な人間像に迫る。

しかも映画にはボブ・ディランという役名は一切登場しない。ディランが創造した7つの人格が投影された人物たちによって物語は進んでいく。監督は事前に俳優たちに、ディランのヴィジュアル資料、歌やインタビューを送った。

ディランの真似をしてくれとは誰にも言わなかったけど、彼の人生の特定の時期を演じてもらうにあたって、ディランの歩き方や外見やスタイルを利用してもらうことはした。その結果、ディランの内面から外見に至るまで、それぞれの俳優ごとに幅広い解釈が生まれたんだ。


その中には“女優”のケイト・ブランシェットが含まれていた(最上段チラシ)。彼女の演技は素晴らしく、映画の中でもひときわ強い印象を放った。「女優にボブ・ディランを演じるチャンスが回ってくることなんて、この先もう二度とないと思ったわ」

●「象徴派詩人」のアルチュール(ベン・ウィショー)
映画のナレーター的な役割。19世紀フランスの詩人アルチュール・ランボーは、ディランの作詞世界に多大な影響を与えた一人。時は1965年。インタビューを受けるアルチュールの言葉から、他の5人の物語が広がる。

●「放浪者」のウディ(マーカス・カール・フランクリン)
デビュー前のディランは、ウディ・ガスリーをはじめとするフォークシンガーやブルーズマンたちの歌をコピーしながら、アメリカ各地を放浪していた。ギターケースには「ファシストを殺すマシーン」の文字。時は1959年。

●「革命家」のジャック、「宗教家」のジョン牧師(共にクリスチャン・ベイル)
1962年、NYのグリニッチ・ヴィレッジで花開いたプロテスト・フォーク・シーンの旗手としてデビューしたディラン。ジョーン・バエズ(ジュリアン・ムーア)との思い出。そして1970年代後半。西海岸でカトリックの洗礼を受けて、聖書の世界に傾倒してゴスペルを歌ったディラン。

●「映画スター」で「恋人・夫・父」のロビー(ヒース・レジャー)
ディランの人生における二人の女性。プロテストフォーク時代の恋人スージー。奇しくも激動のベトナム戦争と並行した1965年から1977年まで結婚生活を送った妻サラ(シャルロット・ゲンズブール)との出逢いと別離。

●「ロックスター」のジュード(ケイト・ブランシェット)
フォークと決別し、エレクトリック・ギターに持ち替えてロックへと転身を遂げた1965〜1966年のディラン。フォーク・フェスでのブーイング、アンディ・ウォーホルのミューズであるNYの売れっ子モデルとの出逢い、ビート詩人アレン・ギンズバーグとの交流、ジャーナリストとの確執、そして運命のバイク事故。

●「アウトロー」のビリー(リチャード・ギア)
バイク事故の後、田舎町ウッドストックで隠居生活を送っていたディラン。西部開拓時代というアメリカの神話世界をさまよった。

予告編


「ロックスター」のジュードが歌う「Ballad of a Thin Man」

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『アイム・ノット・ゼア』






*日本公開時チラシ
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*参考・引用/『アイム・ノット・ゼア』パンフレット、DVD特典映像
*このコラムは2017年2月に公開されました。

評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
名作映画の“あの場面”で流れる“あの曲”を発掘する『TAP the SCENE』のバックナンバーはこちらから

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