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わたしを離さないで〜「人間とは何か?」を追求するカズオ・イシグロの静寂世界

2024.02.10

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『わたしを離さないで』(Never Let Me Go/2010)


2017年にノーベル文学賞を受賞したこともあり、その名が消費主義の人々の間にも一気に広まった感がある作家カズオ・イシグロ。しかしその著作はどんな題材を扱おうが、常に一貫したテーマで支えられている。

私の場合、小説創作で行き着くところはいつも同じだ。つまり「人間とは何か?」ということ。それを今後も問い続け、真理を追求していきたい。


1982年に『遠い山なみの光』でデビュー。その後『浮世の画家』(1986)『日の名残り』(1989)『充たされざる者』(1995)『わたしたちが孤児だったころ』(2000)と長編を発表。そして6作目となった『わたしを離さないで』(2005)では、クローンというそれまでのイシグロの創作活動からは予想もつかなかった科学的な題材を取り上げた。

90年代にイギリスで羊を使ってのクローン実験が成功したことが発表され、それにインスパイアされてこの作品を書いてみたいと思った。以前ならこうした作品を書かなかっただろうね。私自身、SF的な要素を自分の小説で使うということに躊躇する世代の作家だから。でも最近はアレックス・ガーランドやデイヴィッド・ミッチェルなど、後輩の作家たちが積極的にその要素を取り上げていて、それに喚起されて執筆に取り組んだんだ。


2001年に執筆を開始したというこの作品は完成までに4年の歳月を要した。取り扱ったことのない題材と向き合う以上に、既にイギリスを代表する作家としてマスメディア対応に追われていたことが時間を取られた原因とも言われている。結果的に新境地を拓いた『わたしを離さないで』は新しいファン層を獲得、世界的なベストセラーとなった。

この物語は、クローンの最先端テクノロジーがどこまで進化したかといった技術的な目的で書かれたわけではない。そうした話は小説以外の形で別の人が書いてるだろう。私が表現したかったのは、人間誰しも持つ過去の思い出だ。生きていく中で私たちは日々新しい人やものと出逢うが、いくら時が流れても決して消え去らない、失われない過去がある。登場人物が時代を経てその過去に再び身を投じ、どんなことを得るのかを伝えたかった。


当然、映画化のオファーが次々と舞い込んでくる。イシグロは友人でもあり、小説家・脚本家としても信頼するアレックス・ガーランドに映画化を任せることにした。ガーランドは『ザ・ビーチ』(1999)で一躍有名になったイギリス人作家。

ガーランドは『トレインスポッティング』や自身の『ザ・ビーチ』のプロデューサーを務めたアンドリュー・マクドナルドに話を持ち込み、さっそく脚本を書き上げる。監督は小説の大ファンだったというアメリカ人のマーク・ロマネクが担当。イシグロも製作総指揮に入り、『わたしを離さないで』(Never Let Me Go)は2010年に映画化に至った。

1978年。イギリスの田園地帯にひっそりと佇む寄宿学校ヘイルシャムで、特別な存在と言い聞かされて成長する子供たち。厳格な校長エミリー(シャーロット・ランプリング)によって隔離されたこの施設には、フェンスの外には恐ろしい世界であることを信じ込まされているキャシー、トミー、ルースらの姿もある。

ある日の授業。新任のルーシー(サリー・ホーキンス)は、自分たちの将来に待ち受けている過酷な運命を知らされていない生徒たちに真実を語り聞かせる。「あなたたちの“生”は臓器移植のためのものであり、3度目か4度目の提供で“終了”する」のだと。キャシーはトミーに恋をするが、トミーはルースと付き合ってしまう。キャシーはベッドの上でジュディ・ブリッジウォーターの歌を聴いて少女時代と決別する。

1985年。18歳になった3人はコテージに移り共同生活を送っている。そこには他の寄宿学校から来た仲間たちも混じっている。“オリジナル”を見に海辺の町へ好奇心で繰り出した日、「心から愛し合っているカップルは、申請すれば数年の提供猶予が与えられる」という噂話を聞かされる。トミー(アンドリュー・ガーフィールド)はルース(キーラ・ナイトレイ)との関係を見つめ直そうとするが、キャシー(キャリー・マリガン)は介護士を志願してコテージを去っていく。

1994年。仲間たちを看取る介護士となって毎日を過ごすキャシーは、9年ぶりにルースと再会。終了間際のルースは、トミーを奪ったことをキャシーに謝る。あの“噂”が本当なら、繋がるべきはキャシーとトミーなのだと涙ながらに言う。弱り果てたトミーと再会したキャシー。結ばれた二人の運命は?……

臓器供給源であるクローンたちの悲しい宿命を描いた『わたしを離さないで』を観ていると、人間と何一つ変わりなく、恋や友情、限りある命を必死に生きようとする姿に静かに心打たれる。真相が浮かび上がっていくクライマックスは切なくもあるが、キャシーの強い心に一筋の希望を見出すこともできる。さらに映画には“時”という音楽も流れていて、ロマネク監督の拘りがこの映画を名作へと昇華させた。

ここには青々と生い茂ったイングランドのイメージはない。ピカピカに新しいものはなく、すべてが色褪せ、使い古されている。侘・寂の思想が取り入れられている。常にカチ、カチ、カチと時を刻む音がしている。ほとんどすべてのシーンに時計を注意深く配置した。物語が時の経過と時間の貴重さに重きを置いているからだ。また、時計の音だけでなく、自然の風の音の設計にも気を配ったよ。


予告編


実は架空の歌手、ジュディ・ブリッジウォーターの劇中歌。

『わたしを離さないで』

『わたしを離さないで』


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*日本公開時チラシ

*参考・引用/『わたしを離さないで』パンフレット
*このコラムは2018年3月に公開されたものを更新しました。

評論はしない。大切な人に好きな映画について話したい。この機会にぜひお読みください!
名作映画の“あの場面”で流れる“あの曲”を発掘する『TAP the SCENE』のバックナンバーはこちらから

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