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センシティヴな【魅惑のソウル・ヴォーカル⑤】マーヴィン・ゲイ(後編)~神が授けた歌うという才能と過酷な運命

2024.04.01

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スタジオでマーヴィンがピアノの前に座り弾き語りを始める。すると、周りにミュージシャンが集まって彼の歌に聴き入り他のスタジオ・ワークは中断してしまうということがしょっちゅうだった。上手いとかどうとかのレベルじゃない。彼だけが持つ磁力、引き込む力が、マーヴィン・ゲイの歌にあったからだ。
ーオーティス・ウィリアムス(テンプテーションズ)


~前編はこちら~

社会に対するメッセージを乗せたアルバム『愛のゆくえ~What’s Going On』で、人々の魂を震わせる歌声を聴かせてくれたマーヴィン・ゲイ。同アルバムから「ホワッツ・ゴーイング・オン」「マーシー・マーシー・ミー」「イナー・シティー・ブルース」と、立て続けに3曲がR&Bチャートの首位を記録した。

そして1973年には、愛とセックスを赤裸々に表現するアルバム『レッツ・ゲット・イット・オン』を、1976年には『アイ・ウォント・ユー』をリリースし大ヒットする。セクシャルな表現を用いても下品に聴こえないのは、マーヴィンのヴォーカルが持つ一種の神聖さが感じられるからかもしれない。

「I Want You」


アーティストは真実を愛し、真実を怖れない。そして真実を表現するということは神の領域に近づくということでもある。
ーマーヴィン・ゲイ
(紺野慧1976年8月インタビューより)


父親との確執が深かったマーヴィン・ゲイだが、牧師であった父親の影響は大きかった。常に神と一体になることを求め続けてきた彼は、「アーティストというものは、神の領域まで達したがるものだ」と語っていたという。彼が歌うと、愛と性は単なるロマンスや快楽だけではなく、命の根源である崇高なものとして聴こえてくるのは、そのせいかもしれない。

しかし一方で、世俗的なスキャンダルも絶えなかった。マーヴィンが33歳の時に出会った17歳年下のジャニス・ハンターとの恋、それが原因で17歳年上の妻アンナ・ゴーディに起こされた離婚訴訟、多額の慰謝料や税金滞納、自己破産などの金銭トラブル、再婚したジャニスとの破局、少年期から続く父親との確執、それらの痛みから逃れるように深みにはまる薬物への依存など、マーヴィンを取り巻くトラブルは枚挙にいとまがない。

慰謝料を支払うために大規模なワールド・ツアーを企画し、そのツアーの中でヨーロッパやハワイなどに住まいを転々としながら、マーヴィンは心身ともに疲れ果てていた。

華やかな表舞台の裏に隠されたマーヴィン・ゲイの半生は、あまりにも過酷で苦しみに満ちていた。それらの試練に立ち向かう強さよりも、逃げてしまう弱さを抱えていたマーヴィンの歌声には、優しさと裏腹の弱さと傷つきやすさが感じられるところも、聴く人の心の奥にある痛みなどと共鳴して響くのかもしれない。

1981年にはモータウンとの契約を解消、金銭トラブルもようやく解決し、翌1982年にハーヴェイ・フークワの手助けを借りて録音したアルバム『ミッドナイト・ラヴ』から、“傷ついた心は愛で癒す”と歌う「セクシャル・ヒーリング」が大ヒットする。

1983年、この曲でマーヴィン・ゲイは「悲しいうわさ」でも「ホワッツ・ゴーイング・オン」でも手にすることができなかった念願のグラミー賞を、20数年目にして初めて手にしたのだった。


そのグラミー賞の10日前、NBAオール・スター・ゲームのオープニングセレモニーで、マーヴィン・ゲイは国歌を歌っていた。

NBA(プロバスケットボールリーグ)、 NFL(プロアメリカンフットボールリーグ)、MLB(ベースボールメジャーリーグ)というアメリカ三大スポーツのオープニングセレモニーで国歌を歌うということは、スターの中のスターとして認められるという栄誉にある。

しかしこの話が来た時、自分が国歌を歌っても良いものかとマーヴィンは悩み、歌手のルーサー・ヴァンドロスに「俺は国家は歌えない、代わりに引き受けてくれないか」と相談したのだという。様々なトラブルを抱えてアメリカでの生活を苦々しく思い、ヨーロッパなど他国へ逃げた日々や薬物にも手を出した自分に、国家を歌うことが許されるのかと悩むのだった。

ルーサーにとってマーヴィンは憧れの歌手であったから驚いた。しかし、「あなたが歌うべきです。聴きたいのはあなたの歌なのです」と、きっぱりと断るのだった。

そんな心情を隠すかのようにサングラス姿で登場したマーヴィンの、アカペラではなく、「セクシャル・ヒーリング」のドラムス・パートをプログラミングし直したアメリカ国歌「星条旗よ永遠に」を堂々と歌う姿があった。


数々の栄誉を手にしてから約1年後の1984年4月1日、マーヴィンは実父の銃に撃たれて帰らぬ人となった。
それは、4月2日の45歳の誕生日を目の前にしての最期だった。

歌う才能とともに過酷な運命までも神が授けたものだったのか。
スキャンダラスな半生を生きたマーヴィン・ゲイだったが、彼の音楽は孤高であり、今でも私たちの心を惹きつけてやまないのだ。


参考文献:イナー・シティ・ブルース マーヴィン・ゲイが聴こえる 紺野慧著 株式会社ヤマハミュージックメディア


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