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紐育の優しい果実はどんな色?~「ニューヨーク・テンダベリー」ローラ・ニーロ

2024.04.06

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1969年の秋に発売されたローラ・ニーロのアルバム『ニューヨーク・テンダベリー』のジャケットは、街に佇み風に吹かれるローラの、黒を基調とした写真が印象的だ。

このアルバムを初めて聴いた時の印象も、即興的なピアノとローラの歌声が、凍てつく真冬のニューヨークのモノクロームな風景を浮かび上がらせているようだった。

2002年に発売されたリイシュー盤には、ローリングストーン誌の編集者デヴィッド・フリック氏と、日本盤にはさらに音楽評論家の渡辺亨氏によるライナー・ノーツがブックレットに掲載されている。そこにはアルバム録音当時の模様が詳細に記されていて、モノクロームなアルバムジャケットとは対照的な、よりカラフルな色合いが浮かび上がってくるのだ。

例えば、楽譜を読むよりも感性の人だったローラ・ニーロは、プロデューサーのロイ・ハリーや、アレンジャーのジミー・ハスケルに対し、「明るい青が欲しい」とか、「ここはもっとピンクにして」などという風に要望を伝えていたという。

また、マンハッタンのアッパー・イースト・サイドにある自宅から、夜のセントラル・パークを突っ切ってミッドタウンのコロムビア・レコーディング・スタジオまで、ローラはイブニング・ドレスを身に纏い馬車で通うことも度々あったという。そして毎晩のようにスタジオにはディナーが用意され、テーブルクロスとキャンドルとワインも用意させて、アルバムにふさわしいロマンティックな雰囲気を演出したのだそうだ。

「このレコードは私の思いのすべてなの」

そのようにローラは何度も語っていたといい、レコーディングは1968年の秋から約1年という長い歳月をかけられ、アルバムは大切に作り上げられた。

また、渡辺亨氏のライナー・ノーツによると、ローラが最も敬愛するマイルス・デイヴィスのアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』のレコーディングも、ほぼ同時期にコロムビア・レコーディング・スタジオで行われていて、マイルスが『ニューヨーク・テンダベリー』のレコーディングに立ち会ったことがあると記されている。

そこで彼女は、とある1曲にマイルスにゲストとしての参加を求めた。しかし、マイルスはその曲にじっと耳を傾け、「ここに俺が付け加えるべきものはない」と語ったといい、ローラの音楽の素晴らしさを物語るエピソードとして記されている。

ニューヨーク・テンダベリー
青いベリー
ブラシとドラムが誘う
ラム酒の酔い
過去は私の中の
ブルーノート
朝のうちに逃げ出した私



朝のうちに逃げ出したけれど
帰ってきて荷物を解いた
歩道と

あなたは街のように見えるけれど
私には
宗教のように感じられる


アルバム・タイトルでもあり表題曲の「ニューヨーク・テンダベリー」の「Tendaberry」は「tender berry」、ローラが見つめたニューヨークが歌に描かれている。

1947年にブロンクスで生まれた生粋のニューヨーカーであるローラ・ニーロは、“宗教のように感じられる”この街の、甘く、時に酸っぱい果実を味わい、孤独も喧騒も包み込むこの街の優しさを、アルバムに閉じ込めた。

あらためてアルバムをじっくりと聴いてみると、そこには街の風景だけでなく、住む人の心象風景も映し出すような、様々な色合いが浮かび上がってくるのだ。

*歌詞対訳:内田久美子『ニューヨーク・テンダベリー』ブックレットより


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