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テクノミュージックとラップによって生まれ変わった「デビルマン」

2018.02.26

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2018年1月5日、漫画「デビルマン」が映像ストリーミングサイト「Netflix」にて全10話のアニメ「DEVIL MAN crybaby」として復活した。

永井豪の手によって1972年に生まれたこの作品は、力強いタッチと少年向け漫画としては異例とも言える過激な描写、そして黙示録のような壮大なストーリーで多くの人々に衝撃を与えた。

新しくなった「デビルマン」の劇伴を手掛けたのは、日本のテクノシーンにおいて第一線で活躍するミュージシャン、牛尾憲輔だ。
彼が作る不穏なビートによって、物語にさらなる緊迫感をもたらしている。

また、70年代に放映されたアニメーション版の主題歌「デビルマンのうた」も、彼の手によってテクノディスコ調の楽曲に生まれ変わった。

このカヴァーバージョンのヴォーカルを務めたのは、女王蜂のフロントマンであるアヴちゃん。彼の中性的でどこか禍々しさのある声が、シリアスな物語のなかでより特徴的に響く。
劇伴だけではなく、物語中においても音楽は重要な役割を果たす。
主人公の不動明を支える人物として、フリースタイルラッパーが登場するのだ。
彼らは各話でラップを披露し、韻を踏みながら物語の舞台設定を吟遊詩人のように語り、時に主人公たちを勇気づける。

ラップを担当したのはKEN THE 390や般若を始めとする日本を代表するラッパーたちだ。
本作の監督を務めた湯浅政明が物語にラッパーを登場させたのは、原作漫画に登場する「番長」のように悪さをしながらも、優しい心を持った存在が必要であったからだという。

「今時のワルは、奥の方にしれっと潜んでいて、あまり自分から表に出てこないだろうと思ったので。じゃあ、この番長グループの代わりに、自分から発信してくるヤツって今だとどうなるんだろうと考えたら、やんちゃに見えるラッパーなら自分の意見を発信してくるなと思いました。」

この「ラッパー」という存在に象徴されるように、「DEVIL MAN crybaby」は「デビルマン」を現代の物語としてアップデートさせている。
湯浅監督はその理由を「自分が高校生の時に読んでいた感じを出したかったから」だと語る。

「当時(デビルマンは)、『今現在起こりうるかもしれない話』として描かれていたのだから、舞台は現代にしたほうがいいだろうと思って変えました。」

彼がこう語るように、気鋭のクリエイターたちが、原作漫画のストーリー展開を基にしながら、翻案を加えてこの作品は作られた。

物語の舞台は現代の日本。
誰かが悲しむと自分も涙を流してしまうほど心優しい少年、不動明はある日、幼馴染で若くして大学教授の職についている飛鳥了と再会する。
そこで告げられたのが、世界中で「悪魔」が人間に取り付き、残虐な事件を引き起こしているという事実であった。

そして、明は了と共に悪魔が現れるというドラッグパーティー「サバド」に潜入しその手がかりを探ろうとするが、その途中で悪魔に取り憑かれてしまう。
しかし心優しき明は人間の心を保ったまま、悪魔の力を手に入れた「デビルマン」となり、人間たちを守ることを決意した。

悪魔に取り憑かれてしまったなかで人間性を保とうとする明の葛藤や、見えない「悪魔」という存在に怯えSNS上で「悪魔狩り」をする人々、愛する人たちが失われていく恐怖、そして人間の心の中にある善意と悪意のぶつかり合いが、物語の核となる。

現代社会の中で、もしも見えない何かによって人々が操られているとしたら––そのような、どこかリアリティを感じさせる設定の下で物語は進む。

劇中に登場するテクノミュージックやラップミュージックはシリアスな物語を彩り、なおかつ現代的なリアリティを与える役割を果たしているのである。

新しくなった「デビルマン」はNetflixによって世界へと配信され、海外でも大きな衝撃を与えている。
原作漫画に影響を受けた日本のクリエイターたちの手によって、現代性を獲得した「デビルマン」は、今度は世界の作り手たちに影響を与えることであろう。

 

※文章中の湯浅政明監督の発言は「Gigazine」でのインタビューより引用しています。
https://gigazine.net/news/20180116-devilman-crybaby-go-nagai-masaaki-yuasa-interview/

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