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「追憶のハイウェイ61」を聴いて「歌うたい」として目覚めた斉藤和義 〜「歌うたいのバラッド〜

2018.09.17

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1993年(平成5年)にシンガーソングライターとしてデビューした斉藤和義は、元々ギタリストになりたかったという。

彼が中学と高校時代を過ごした70年代末から80年代にかけて、日本ではいわゆる「ジャパメタ・ブーム」が起こっていた。
レイジーやラウドネスのギタリストとして活躍した高崎晃に憧れた斉藤は、ギターを手に取って弾きまくり、将来はギタリストになることを夢見ていた。

転機が訪れたのは大学時代。友人に誘われ、アコースティックギター2本で歌うユニットを結成したときだ。
この時に初めて自分で歌うための曲を作ったのだが、それがコンテストなどで高い評価を受けて驚いたという。

ユニットが解散して以降、斉藤はソロアーティストに転向する。
物憂げな声や、独特の着眼点から生まれるストレートな歌詞が話題を呼び、1992年にオーディション番組『天下御免ね」で優勝、翌年にデビューを果たした。

しかしシンガーとしてデビューしながらも、斉藤には歌よりもギターを聴いて欲しいという気持ちが強かったため、歌や曲を褒められることに違和感があったという。

精力的にライブや作品制作を続けるうちに、彼の名前は徐々に世の中に知れ渡っていった。
シングル「歩いて帰ろう」でヒットを飛ばし、一人で作詞作曲から演奏まで手がけたアルバム『ジレンマ』を発表すると、オリコンチャートのトップ10に入ったのである。それはシンガーソングライターとしての斉藤が、世間に求められていることの証明でもあった。

そんな頃、斉藤はボブ・ディランが1965年に発表したアルバム『追憶のハイウェイ61』を聴き返した。すると今までとは全く違った聴こえ方がしたという。

「ディランはデタラメに歌っているようにみえて、実は音程もよくて。だから、歌もしっかりしなきゃなと思って」
(『月刊カドカワ 総力特集 斉藤和義』より)




「歌う」ということの重要性に、ディランの歌を通して斉藤は気付いたのである。
そしてこれを機に、歌に対する考え方が変わった。

斉藤はその後、楽曲制作の過程で、あるバラードを作り出す。
情熱的なメロディーとビートルズを彷彿とさせるストリングス。彼はこの曲に「歌うたい」としての矜持を込めた。
そうして完成したのが「歌うたいのバラッド」である。


本当のことは歌の中にある いつもなら照れ臭くて言えないことも
今日だってあなたを 思いながら 
歌うたいは歌うよ ずっと言えなかった言葉がある
短いから聞いてよ 愛してる


歌を作って歌うということを純粋に表現した結果、今まで使ってこなかった「愛してる」というありふれたフレーズを、素直に歌うことが出来たという。
いつも以上に熱を込めて作ったこの歌は、斉藤の強い希望によりシングルとして発売されることになる。
オリコンでは最高91位という結果に終わったが、ファンや他のミュージシャンからは愛される一曲となった。

そして発売から11年後の2008年、Mr.Childrenの桜井和寿がカバーしたことから、この楽曲は多くの人に知られるようになる。



斉藤が歌うたいとして目覚め、そして素直な感情で作り出した言葉とメロディは、多くの人に歌い継がれ、愛されるものになったのである。

(文・吉田ボブ)

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