「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

ミュージックソムリエ

グリーン・デイにステージに上げられたことから始まったバンド、THE 1975

2018.10.29

Pocket
LINEで送る

2010年代、ソロ・アーティストやラッパーが全盛の音楽シーンの中で、世界的な人気を得た数少ないバンドのひとつ、The 1975(ザ・ナインティーンセブンティーンファイヴ)。
現代的なシンセサイザーや打ち込みのビートと、4人のメンバーによって生み出される生演奏が融合したグルーヴィーなサウンドが彼らの魅力だ。
さらにヴォーカルのマット・ヒーリーの往年のロックスターを彷彿とさせるようなステージングやカリスマ性は、多くのファンを熱狂させている。
そんな彼を音楽に導いたのは、憧れのバンドのライヴだった。

ニューカッスルで育ったマットは、両親の影響で幼い頃からR&Bを聴いていた。
オーティス・レディングやプリンス、それが彼にとってのヒーローだった。



そして10歳の頃にマンチェスターに引っ越したことをきっかけに、自身も楽器を弾き始める。
学校の仲間とバンドを結成したマットは、バンド活動に熱心に取り組んだ。
マンチェスターはオアシスやストーン・ローゼスなどを輩出した、ロックの街である。
10代の若者たちは彼らのようにロックバンドとして成功すべく、バンド活動をしていたのだ。

しかし彼を虜にしたのはマンチェスター出身のバンドではなくアメリカのパンク・バンド、グリーン・デイだった。



自分の内面を言葉とメロディで吐露し、荒々しい演奏で人々を熱狂させる彼らは、マットにとって身近なヒーローのように感じたのであろう。

パンク・ロッカーに憧れていた彼が13歳のときに、転機は訪れた。
それはニューカッスル・アリーナでグリーン・デイのライヴを観ていた時だ。
観客席にいたマットは、突然グリーン・デイのベーシストであるマイクから、ステージに上がるように言われたという。

「僕はステージに飛び上がって、マイクが僕にベースを渡したんだ。10000人が入ったニューカッスル・アリーナで!この経験は僕の人生を変えたよ。それは僕にとって決定的な瞬間だった。外を見ながら考えてたんだ。『OK、これはヤバい』ってね。」
(Spin Magazine 2016年2月9日 掲載 インタビューより)


予期せず大勢の観客の前で演奏した彼は、音楽で人々を熱狂させることの喜びを知ったのである。
マットはバンドの仲間たちと共に、音楽で成功することを本気で夢見るようになるのだった。

そこから10年間、4人のメンバーと共に試行錯誤を続けた彼は新たなサウンドにたどり着く。
それはパンクロックのように疾走感のある楽曲を、ファンクのグルーヴで表現するということであった。
マットが幼い頃から聴いていた黒人音楽と、メンバーが10代の頃に熱狂したパンクロック、その二つが融合し全く新たな音楽を生み出したのである。

2011年にインターネット上に公開した楽曲「The City」が話題を呼び、THE 1975は注目を集めるようになる。



すぐに多くのレーベルからオファーが殺到したが、彼らは冷静だった。

「もの凄い反響が沢山のメジャー・レーベルからかかった。で、僕らは危うく、彼らが思う“あるべき姿”みたいなものを演じるところだったんだ。でも、結局、僕らはそれをしなかった。自分たちが望む、正しい時期に正しい音で世の中に広まっていきたかったんだ。」
(Scream! 2013年10月号掲載 インタビューより)


彼らは、あくまで自分たちの音楽を表現することに徹したのである。
それは、グリーン・デイをはじめとした多くのバンドの精神に通じるものであった。

その後もライヴやEPのリリースで実績を積み上げ続けた彼らは、2013年に満を持してファーストアルバム『The 1975』をリリースし、見事全英チャート1位を獲得する。

さらには、ミューズのアリーナツアーやローリング・ストーンズのハイド・パーク公演のオープニングアクトに抜擢され、2016年には世界中のアリーナを回るツアーを開催した。



かつてグリーン・デイにアリーナのステージに上げてもらった少年は、自らの音楽でアリーナクラスの会場を熱狂させるミュージシャンに成長して行ったのである。

(文・吉田ボブ)


The 1975『The 1975』
Dirty Hit

Pocket
LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[ミュージックソムリエ]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ