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斉藤和義を聴いて、専業作家になることを決意した伊坂幸太郎 〜二人の表現者が刺激し合いながら生まれた音楽たち〜

2019.10.07

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日本の代表する大衆作家の一人である伊坂幸太郎。
彼が描く魅力的な登場人物や物語世界、ウィットに富んだ会話、そして精密なプロットは、多くの人々に愛されている。

そんな伊坂が小説家になったのは2000年のことだった。
デビュー作『オーデュボンの祈り』が新人賞を受賞し、作家デビューを果したが当時はシステムエンジニアをしながら執筆活動に励んでいた。

デビュー作はあまりヒットせず、二作目『ラッシュライフ』も評論家からは高い評価を得たものの、注目を集めるまでには至らなかった。
そんな彼が自身の執筆活動について悩んでいる時期に、会社の帰り道にウォークマンである曲を聴いた。
それは、彼が大学時代から好んで聴いていた斉藤和義の「幸福な朝食 退屈な夕食」だった。



1993年にデビューした斉藤和義は、アコースティックの弾き語りを中心に活動していたことから、当初はフォークシンガーのように売り出されていた。
しかし彼は元々ギタリストを目指していたこともあり、そのような扱いに大きな違和感を覚えていた。
さらに自分が作った楽曲が他のアレンジャーによってアレンジされ、スタジオミュージシャンの演奏で世に出ることに対しても疑問を持っていた。

そうした自分の違和感と疑問を解消するべく、斉藤はレコード会社にセルフプロデュースのアルバムを作ることを提案する。
1997年に制作されたアルバム『ジレンマ』は、作詞作曲からアレンジ、演奏、アートワークのプロデュースまで全て一人で手がけたのである。
そのレコーディング中に生まれた楽曲が、「幸福な朝食 退屈な夕食」だった。
ドラム、ベース、ギターを全て斉藤が演奏し、そこに自分でオーバーダビングを繰り返した。
擬似的なジャムセッションをすることで作られたブルージーなアレンジには、彼にしか作り出せない独特なグルーヴが宿っていた。
そこに思いつくままに言葉をシャウトしていくことで、不思議な熱量を持ったトーキングブルースが生まれたのである。


アルバム『ジレンマ』は、オリコンチャートトップ10に入りヒットを記録した。
そしてシングルカットされた「幸福な朝食 退屈な夕食」も、ヒットすることはなかったものの、ファンに愛されるライブの定番曲になった。
会社の帰り道にこの曲を聴いて、伊坂は「素晴らしいものを作るためには、すべてを賭けなければいけない」と思ったと述懐している。
斉藤が一人だけで作り上げた演奏に、自分の言葉を載せたこの楽曲の熱量が、伊坂にそう思わせたのだろう。

翌日に会社を退職した伊坂は、半年間を執筆活動に専念した。そうして誕生した小説『重力ピエロ』と『陽気なギャングが地球を回す』が大ヒットを記録し、彼は人気作家の仲間入りを果たした。

『陽気なギャングが地球を回す』を読んだ斉藤和義は、コラボレーションアルバム『紅盤』の制作に際して、伊坂に作詞をオファーしている。
しかし伊坂が「幸福な朝食 退屈な夕食」を聴いて、専業作家になることを決意したことを知ったのはその時が初めてだった。
結果的に作詞ではなく、伊坂が書き下ろした短編小説「アイネクライネ」を基に斉藤が曲を作るという形で、「ベリーベリーストロング 〜アイネクライネ〜」という楽曲が誕生した。



「幸福な朝食 退屈な夕食」と同じく、全ての演奏を斉藤が手がけたこの楽曲は、ビート感溢れる演奏に伊坂が紡いだ奇跡的な出会いの物語を基にして、ユーモラスな歌詞が載った独特なロックナンバーだ。

その後も伊坂と斉藤の親交は続いた。斉藤は、伊坂の小説が映画化されるたびに、サウンドトラックの監修と主題歌の制作を行っている。
2019年の9月に公開された「アイネクライネナハトムジーク」は、斉藤のために書き下ろした「アイネクライネ」を基に書いた長編小説が原作の映画だ。
斉藤は本作でも、男女の奇跡的な出会いがもたらす物語に寄り添うような、優しくも儚い音像の劇伴を提供している。



斉藤が熱量を持って作り出した楽曲は、伊坂幸太郎という別の表現者の背中を押した。
そして伊坂の作り出した物語は、斉藤和義の音楽の大きなインスピレーションになっているのである。


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